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東京都心から地方に移住して約1年。地方の景色には密度が感じられない。

1.東京暮らしに疲れた

 このnoteは東京に暮らしていた私が地方に移住して、振り返りの意味を込めてまとめたものだ。特定の何かをディスる表現はあるものの、それは何かの意図があるわけでもなく、純粋に私の性格の悪さから生まれている言葉なので深読みはしないでほしい。
 私は元々地方生まれ・地方育ちの人間で、東京に住んでいた期間は通算5年程度しかない。そんな私が東京での暮らしを語るのはおこがましいとは思うものの、私の書いたものだけで物事の判断をする人もいないとは思うので、自由に書かせてもらう。
 私が東京を去りたいと思った理由は複数ある。
①地方暮らしの婚約者と同棲するにあたり、相手の生活スタイルを大きく
 変えたくなかった=関東圏への移住であればギリギリセーフ。
②東京の人込みと公共交通機関に疲れた
③東京の夏の暑さに最後まで適応できなかった
④ゴキブリとネズミが嫌い
⑤家賃の高さ
これらに関して、①は語るべきこともないので割愛し、②から順にだらだらと書かせてもらう。

②東京の人込みと公共交通機関に疲れた

 私が住んでいたのは日本橋だったのでそんなにひどくはないが、東京はどこにいっても人が多い。例えば、私がよく買い物をしていた丸の内、秋葉原(ヨドバシ)、錦糸町、新宿、どこにいっても人込みから逃れることはできない。別にその人込みが私に敵意を向けているわけではないのだが、視覚的に多くの人が映り込むと疲れが生じる。どこに行ったとしても感じる人の多さによって、休日の外出がわりとエネルギーを食うイベントになっていた。もう少し人のいない、地方の平日のイオンのような場所で買い物をしたい…そう思うようになっていた。
 また、地下鉄移動がメインの生活も私には合わなかった。前述したように、私はあまり多くの人間と物理的に近距離でいたくない人間だ。そんな私にとって、公共交通機関という公共空間は苦痛でしかない。人の話し声、人流にあわせた行動、たまに現れるヤバい人等、地下鉄での移動は大きなストレスだった。元々幼い時から車移動で育ってきたためかもしれないが、見知らぬ誰かと同時に移動するという行為がとことん苦手らしい。今でもたまに出張で東京に行くが、その旅程は地獄に近しい。
 不特定多数の人間と同じ空間を過ごすことは、イレギュラーの連続でもある。急病人、うるさい人、急に泣き出す子供等、仕方ない存在ばかりだが、それを受容できない自分がいる。

③東京の夏の暑さに最後まで適応できなかった

 住んでいる人には改めて語る必要はないが、東京の夏は暑い。海風をブロックする汐留のビル群、元々海だったためか高い湿度、密集の高さから生まれる都市の熱。そういったものが生む夏の暑さが、北国育ちの私には最後まで適応できない障害だった。
 5年間住んだが、これに最後まで慣れなかった自分がいる。都内ではよく散歩をしていたが、夏の日中だけは1度もしなかった。この暑さで行動が制限されている感じが、自分にとっては小さなストレスだった。

④ゴキブリとネズミが嫌い

 これは東京以外も出るんだろうが、北国で育った私にはゴキブリは縁がない生き物だ。上京してきた年の夏、部屋にそれが出て言葉にできない恐怖を感じた。毎年夏になると”概念としての恐怖”が生活に入り込んでくる感じが理解できるだろうか?子供のころ、夏(正確にはお盆)は幽霊が出るという理由で、そのシーズンだけテンションが低かった私にとって、ゴキブリは新たな恐怖だった。
 幸い部屋に出たのはその1度だけだが、夏になると住んでいたマンションのごみ捨て場にやつらがいる。そのため、ごみ捨ての度に勇気をもって階下に向かうことになる。この小さなストレスがつらかった。
 あとネズミが出たことはないものの、街中で生き物を見たくない私にとって、繁華街を歩くネズミは嫌な存在だった。特に築地市場を取り壊した後に、地下鉄の線路や家の近所を歩くネズミを見るたびに、Youtubeにある”犬がネズミを狩る動画”を思い出さずにはいられなかった。

⑤家賃の高さ

 家賃の高さにはある程度納得感をもって生きていたのだが、婚約者が当時住んでいた物件が、40平米・新築で家賃5万円台だったのを知って心が折れた。
 私は日本橋の16平米・築40年・家賃75000円のワンルームマンションに住んでいたので、家は快適な場所というより、寝て食べて、仕事をするだけの場所という意識が強かった。時折婚約者の家に泊まりに行ったときに、「家で過ごす快適さって本来こういうことだよな~」と感じる自分がいた。
 もちろんそれなりの家賃を出せば都心でもこの快適さは手に入るのだが、どうして地方では5万円台で手に入る商品を、都心でその4倍近い金額を払って手に入れる必要があるのかが理解できなかった。賃貸住宅・不動産というシステムの全体像を見ればその価格差は理解できるものの、一個人の心情としては納得できないものがあった。

2.地方に移住してきてどうだったか?

 では、念願の地方移住を果たして、そのあたりがいったいどう変わったのかを書きたいと思う。
 まず、移住にあたり中古車を購入した。コンパクトカーだが、2人で乗る分には不自由がない。居住地は車がなければ生活できないエリアなのだが、車があるので別に困ることはない。何より、第三者と共有しない空間で移動できることは大変心地よい。
 経済的な負担も特になく、生活コスト全般が下がったために、特に問題なく過ごせている。車社会であるが故に、その型にハマってしまえば特段困ることもない。
 よく地方でも脱車の主張をする人を見かけるが、なぜ地方暮らし故の特権を捨てるようなことをするのだろうか。もちろん経済的負担や中心部の渋滞など、車社会であるが故の問題点はあるものの、それを差し置いても自分だけの空間で移動できる権利ほど、素晴らしいものはない。
 ちなみに移住してきてから何度か電車に乗ったが、東京と違って電車を待つ列の並び方がごちゃごちゃとしていたり、パーソナルスペースを広く取りたがる人が多かったりと、都内で地下鉄に乗っていた時より不快感が強い。

 次に夏の暑さだが、海沿いに住んでいるためか基本的に涼しい。もちろんエアコンをつけることはあるが、窓を開けているだけで過ごせることが多い。嫌な湿度もないため、やはり東京の暑さが異常だったんだと感じている。

ゴキブリもネズミも見ていないが、その分蛾とカメムシとゲジゲジがいる。どれも対策グッズを買ったが、正直効いているのかわからない。得に玄関のポーチライトに虫が寄るので、「虫を寄せ付けないスプレー」を買って試してみたが、毎朝大量の虫が玄関で死んでいるのを見かける。寄せ付けないのではなく殺してしまっている。僕は死骸も見たくないタイプなので、正直この効果の高さに逆に迷惑している。

家賃は大幅に下がった。60平米・築5年で8万円ほどだ。特に家に文句はない。ここ10年で一番良い家に住んでいる。仕事は引き続き東京の会社にフルリモートで勤務だが、広い家だからこそワークスペースが贅沢にとれるので、前よりも能率があがったような気がしている。

また、想定していなかったが、自分が都内で住んでいたエリアより物価が安く、生活コストが大きく下がっている。特に魚介類が馬鹿みたいに安いので、前よりも食卓に刺身がでる頻度が上がった。

3.地方移住はいいことばかりなのか?

 ただし、当然良いことばかりではなく、地方に暮らすが故のストレスもある。それらを天秤にかけた上で、地方で暮らすか東京で暮らすかを考えるべきだろう。また、それぞれの暮らしには当然それぞれの良さがあるので、どちらが正解とか、どちらが勝ち組とか、そういった結論を出すつもりもない。住めば都だし、どこに住んでも不満は残る。

①回覧板が存在する

 これは移住した地域の自治体の問題?だが、地域情報が毎月回覧板で共有される。特に周期性はわからないが、ある時期になると家の前に、ビニール袋に入った回覧板が置かれるのだ。その中身を確認し、捺印して、次の人に回す義務が生じている。
 回覧板の中身は付近の小中学校の学級だより、町内会の会計報告、町内会主催のイベントの案内など、一応中身はすべて読んでいる。回覧板を配布している会社がいるようで、そこが広告枠を募って収益化しつつ、自治体には無料で配っているようだ。この仕組み自体はローカルかつアナログな広告媒体として面白いなと思う。
 この回覧板を不満点として挙げた理由が2つある。1点目が捺印の面倒くささだ。デジタル庁の河野大臣が行政府の捺印についてアレコレ言っていたが、任意団体とは言え、行政府の下部組織のようにしか見えない町内会が捺印を求めてくると少しいらっとする自分がいる。サインで良くないかと。
 2点目が、誰に回せば良いのかの指示が特に誰からもなかったことだ。社会人たるもの知らないことは自分で聞け、というスタンスであれば理解できるが、そもそもリモートワークで家から出ることのない自分は地域の人と交流するタイミングがない。土日も残った仕事をするか、寝ているか、婚約者と出かけるかに時間を使っている。まあ、そもそも興味が湧くような地域イベントの存在を認知していないのだが。そんなわけで、左隣の家に回覧板をノリで回している。とりあえず苦情は言われていないので間違ってはいないのだろう。
 令和だし、無料で作れるポータルサイトでも使えばよいのではと思ったが、これはIT系に勤める人間の傲慢さだろう。でも回覧板の中身の作成者はワードを使っているようなので、デジタルな方法でも良い気がするが。でも閲覧者が大変か。

②休日の行先のバリエーションがない(自分にとって)

 アウトドアな趣味がある人にとって、地方暮らしはアクティビティが多く、都心より低コストでアクセスできてよいだろうが、残念ながら私は違う。休日は家で静かにcities slylineをしていたいタイプだ。そんな私が外出するのは買い物か美術館か道の駅くらいなのだが、残念ながらそれらほとんどのバリエーションが乏しい。
 メインの買い物は近所のスーパーで、食料品以外を買う場合はイオン等のショッピングモールに行くことになる。よくイオンモールに行く人はわかると思うが、中のテナントが画一的すぎて、月に1回行くだけでも飽きる。引っ越してきた当初は久しぶりのイオンにわくわくとしていたが、1度行くとしばらく良いかとなってしまう。こってり系ラーメンを食べた後と同じ気持ちだ。そこに入っているテナントも、東京で持て囃されたものか、全国展開していてECで買えそうなものを取り扱っている店がメインになる。リアル空間で買い物をした時の、偶発的な商品との出会いがほとんどない。これなら、アリエクスプレスでカード情報を抜かれることに怯えながら、意味の分からない商品(良い意味で)を見ているほうが心が躍る。
 これが都内であれば、ショッピングモールごとに差別化されたテナントが入っていたり、よくわからない路地裏におもしろいお店があったりと、やはり人口に見合うだけの未知との遭遇を楽しむことができる。
 また、イベントのバラエティも乏しい。文化的な催しはそこまでないし、どう頑張っても東京ほどの規模にはなりえない。でもこれは仕方のないことだ。東京とは人口も人の多様性も差があるのだから。

③散歩をしてもつまらない

 これが最大の悩みだ。引っ越してきてからしばらく経つが、散歩をしてもつまらない。これにはいくつか思い当たる理由がある。
(1) 景色が住宅地ばかりでつまらない
(2) 建物の絶対数が少なく、街に密度がなく、歩いて街を知る面白さがない
(3) 徒歩移動を考えて作られた道が少ない
の3つだ。

 これは完全に住んでいる場所のせいだが、住宅地ばかりなせいで、歩いてもそこまでおもしろくない。都内に住んでいた時は中央区にいたため、マンション群の合間におもしろそうな店舗があったり、マンションにしても様々な外観があったり、そして何より墨田川テラスがあったりと、散歩をするのにぴったりな世界がそこにはあった。
 都会と聞くと、コンクリートに囲まれて息苦しい世界だと地方の人間は想像しがちだが(偏見だ。ただ私の家族は実際そうだった)、実際は違う。人類の英知が詰まった美しいコンクリート建造物にあふれている。それに街の新陳代謝も早い。新しい店や施設がそこそこできている。コロナでの入れ替わりのせいかもしれないが。
 そして徒歩で移動する人間を考えて街の設計がされているのか、歩道も当たり前に広い。田舎の生活道路で車に怯えながら歩く必要もない。まあ私も車を使うときは歩行者が邪魔だと考えているので、こればかりは被害者面をするわけにもいかないが。
 ただ、住んでいる街が古いせいか、あきらかに頭のおかしい引かれ方をした道路が多いことも事実だ。自分が地権者だったら同じことをするが、明らかに歪な形をした土地や、それを取り囲む道路が大量にある。運転をしていてストレスフルな街だ。それでも歩いたりバスを使うよりマシなのだが。こういった街も区画整理をして現代化できれば、非常に魅力にあふれるのかもしれない。この意見に憤りを覚える人もいるかもしれないが、私は古いものや文化といったものに価値を感じない人間なので、このような意見を表明している。再開発万歳。
 これらを総括すると、都会にある街の密度がないために、地方の街は私にとってつまらない世界となっている。cities skylineで、とりあえず人口を賄うために紋切型に作成した市街地のようなものだ。こう書くと地方在住者に怒られるだろうが、そもそも私は地方出身者であるから、怒られる所以もない。

④おなじみのメンバーで仕事を回しあう

 ちょっとはここでの人間関係も作ろうと思って色々な人と関わってみたが、よく見ると様々なイベントに同じ人たちが関わっていることがわかった。良く言えば地域のオーガナイザーだが、裏を返すとこれが画一的に感じたものの正体かもしれない。あと交流会と称して主催者が仕事を得るための集客会だったことも多々あり、これには少し残念な気持ちになった。そういう意図でもなければわざわざ人を集めることもないのかもしれないが。

4.それでもこの暮らしには魅力がある

 それでもこの暮らしを辞める気はない。街は静かだし、給料は別に変わらないのに生活コストは下がったし、必要なものは別にECで買える。休日に車で遠出することは楽しいし、安くて美味しい魚介類を食べられる。ただし、これはその地域を愛していない生き方のような気がしなくもない。私が得ている恩恵は、別にその地域特有のものではない。おそらく日本のどの地方都市に行っても得ることができる。(事実、これまで住んだ地方都市でも同じことをしていた)。それは根無し草的かもしれないが、とりあえずふるさと納税もせず、その地域に馬鹿正直に納税しているので良しとしてほしい。


サポートいただけたらそのお金でバドワイザーを飲みます。というのは冗談で、買いたいけど高くて手が出せていなかった本を買って読みます。