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好きなことさえできれば満足だと思ってた

憧れだった新聞社に入社した。人の話を聞くのが好き。文章を書くのが好き。いろんなところに行って、その土地の美しいものを見るのが好き。
「好きなことをしてお金がもらえるなんて、なんて幸せな職業だろう」
ずっと、そう信じて疑わなかった。

1年半前、私は東京の本社から四国に異動になった。
四国はいわゆる過疎市町村が多く、東京のように会社員、公務員として働く人と同じくらい、自営業者が多い。(会社員よりも多いかもしれない)

自営業といってもいろいろあるけれど、私が多く接してきたのは移住者や、農業者だった。
彼らは皆、東京とは違う価値観を持っていた。お金を稼ぐだけではない。人との関係性や、自分がしたいライフスタイル、それを重視する価値観。

特に印象深かったのは、高知県のとある山村。集落の支援員として働きながら画家やガーデナーの活動をする女性や、周囲に喜ばれるからとパン屋を始めた男性。彼らからは何か内側から発光するようなエネルギーを感じた。眩しいくらいに。

周りの求めることと、自分のしたいことがマッチしている。周りの「ありがとう」が原動力になる。自分の工夫一つで周りが変わる。それってすごく素敵で、幸福なことだなと思った。

私は?

私の書いた記事に、反応が返ってくることはごくごく稀だ。見えない読者に記事を書き続けることは、案外苦しかった。

さらに苦しいのは、新聞を読む若者が少ないことだ。どこへ行っても、「俺、その新聞取ってないからなぁ」と言われる。愛読者もいるが、たいていが65歳以上だ。

そういう虚しさが積み重なるにつれ、これまで無尽蔵に湧き出ていたエネルギーもしゅんと消えていった。何を取材したらいいのだろう。どう記事にすればいいのだろう。

ずっと、文章を書いたり、いろんなところに行ったりして、自分の好きなことさえできればいいと思っていた。でも、違うのかもしれない。

「辞めちゃいなよ」

長距離運転に疲弊したある日、整体師さんにそんな悩みを話した。整体師さんは、私と同じ、20代後半の女性だ。

「じゃあさ、辞めちゃいないよ。私だったらそんなモヤモヤした状態で続けられないね。現に、仕事辞めて開業しちゃったし」

うーんと煮え切らない私に、整体師さんはより指圧をかけてきた。

「もう、こんなに体冷やしてガチガチなのに。よっぽどストレス溜まってるんだよ。やめちゃえやめちゃえ、我慢は良くない」
そういうもんですかね、と指圧に息絶え絶えになりながらも、その「やめちゃいなよ」「我慢は良くない」がしばらく頭から離れなかった。

我慢

思い返せば、私は好きなことをすることと引き換えに、いろいろな小さな違和感に目を背けてきたのかもしれない。

職場の上司とは、全く相性が合わなかった。せっかちな私と、何事も熟考するタイプの上司。世代も親子ほど離れている。
世代のせいなのか、ちょっとこの時代にはそぐわないのではないかと言うことも平気で言うので、その度に体がサーっと冷えていく感覚を覚えていた。

転勤が決まった時も、「ああ、これで婚期が遅れるな」と思った。転勤したら4年はその地で働かなければならない。

彼氏とも付き合って7年が経っていて、結婚もしたかったけれど、しばらくは遠距離が続くことになった。

幸いなことに、彼は結婚を焦っていなかった。ただ、私は周囲がどんどん結婚していくのを横目に、「こんな離れた場所に1人で、何しているんだろう」と思った。でも、「好きな仕事だから。続けていくにはしょうがない」となんとか我慢してきた。

ストッパー

今は、過去に感じてきたちいさな違和感を、真正面から自覚してしまった。

ああ、もうこれはダメだ。もう続けられない。

なのに。最終関門として、両親がいる。
「せっかく年功序列の会社に入ったのに、なんで辞めるの?」「いい大学でて就職できたんだから、それを無碍にすることはないだろう」

違和感だけで、辞めてしまっていいのだろうか。
辞めたら、今以上の給料を得られる保証はない。辞めて東京に戻って結婚したとしても、彼に迷惑をかけてしまうかもしれない。

でも、もう我慢できないし、我慢したくない。小さな違和感を一つずつ乗り越えていった先に、なりたい自分があると思うのだ。

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