見出し画像

「当たり前」の断捨離






本日は火曜日。お昼ご飯は12時。
休憩は1時間。

次の休日は今週の土曜日、あるいは日曜日。  
    







この文章を読んで「普通のことじゃん」と思うだろうけど、
最近のわたしはこういう制限された生活がすごく苦しく感じてきてしまった。
    

   
わたしも週5勤務会社員ではあるんだけど、
訳あって在宅勤務であり、
かつ仕事も多くないのでのんびりさせてもらっている。





今も勤務時間ではあるが、ソファーに寝そべって好きな先住民についての本を読んでブログを更新している。


有難いことだ。







おかげで絵の方の仕事や、
他に思いついたやりたい事をその場で出来る。






ここまで読んで「はぁ?」と思った方。
なにもここで伝えたいのは、マウントではない。




環境は自分で選択して作り出せるという事だ。 
  





理想の環境は今ここにはなくても出会える、
もしくは見つけられる、作り出せる。

   
その為には勇気や、先入観との向き合い、そして多少の犠牲は必要なんだけども…





ここに至るまで私は多くを学んできた。



数年前から、ネイティブ・アメリカンが好きで彼等の精神性や文化的な思想を学ぶためにあらゆるイベントや講演会に行っていた。




ネイティブ・アメリカンだけではなく、
昔の琉球文化やアイヌ文化、他の国の先住民文化の話も聞けることが出来た。





その時いつも思うのは、
先住民ならではの自然のリズムに沿ったスローライフは、
資本主義経済の支配によって尽く壊れてしまったなぁ…という事だ。

     



大抵、先住民は歴史の中でヨーロッパやアメリカ、(日本もそうだが)など先進国に同調させられて酷い目に遭っている。



経済、利益優先主義で「自然のリズムを大切にする」という非効率な生き方はほぼ消えかけていた。



日本で現在主流になってる曜日感覚、
「土日は休み」みたいなグレゴリオ歴は明治以降に作られたもので、
それらは「資本主義の為のこよみ」だと考えている。








月曜から金曜まで働いて、土日、祝日は休み。
(職種によったら関係ないんだけども)

学校などではその規則に準じていて、
わたしたちはこのリズムで地球が回っているのだと覚える。



わたしは幼少期そのリズムを破っては頭ごなしに叱られていた事を思い出した。

後にADHDである事も判明し、

世間の流れに上手く乗りづらい性質を持っていることを悟ってしまったのだった。





先住民が豊かに自然と同調していた時の感覚。
そこで生きたくなってしまった。









バリバリ働いていた頃は、
そこを自覚していながらも必死に抑えて耐えていたが。



一部の人にしか打ち明けず、
時に私は自分を隠した。


一部の人の前では、そんなアウトローな自分を偽らなければならなかった。




その結果、私自身の中で乖離が起こり、

わたしはパニック障害になり鬱病1歩手前まで行ってしまった。








自分との乖離。
自分を見失う。
そこから生まれる自己否定が1番キツかった。








先住民的感覚。


いつしかのお話会で聞いた事で、
思い出すことがひとつある。





とある民族は昔、サトウキビ畑をあちこちで栽培して生計を立てていた。




豊かな自然のリズム、地球のリズムで生き
お金が要らない、物々交換で成り立っていた文化だった。



でもある時から政府の介入が起こり、

この家の畑はここまで。
ここから先の畑はこの家は使えない。


そして作ったサトウキビは献上すること。




と一方的に決まりが設けられてしまったのだ。




そういう介入が始まってから、
民族の暮らしは途端に貧しくなった。



自然のリズムに沿ったスローライフは不可能になり、
たくさん働かないと生きていけなくなっていった。

子供はいう。「どうして、偉い人だけが勝手に決められるの?」



やがてその民族はサトウキビの栽培だけでは生きていけず、
町に出て働かなくてはならなくなった。



そこで町の人達に差別を受ける。



「あいつらは、馬鹿で怠け者だ。何も出来ない、文字も書けない。可哀想に。」
  



こうして民族は迫害を受け、
そして民族の大切にしていた文化や精神性は
潰されていく。







それが私たちが今当たり前だと思っている、
資本主義的な生き方の歴史。


曜日感覚。
時間感覚。
紙幣経済。




そして怠けている人、
ルールに従えない人を見た時に感じる、
嫌悪感や嫉妬の意識もそう。



自分が頑張って守ってるのに
なんなのあの人は?




私はそういう概念全てがとても嫌になったので
少しずつ無理のない程度に、
資本主義から身を引こうと考えた。


意識だけでも。





現在使われているグレゴリオ歴の手帳を辞めて、
古代から使われている13日周期のマヤ暦手帳に変えて少し感覚を変えた。

(めちゃくちゃ毎日たのすぃ~♡)


ご飯は朝、昼、晩と食べるのが今までの感覚だったけど、
お腹が空いた時だけでいい。


眠い時は何時まででも寝ててもいい。


 どんなに非効率で意味不明な事でも、
直感でやりたいと思った事はやってみる。




決まりやルールを完璧に守れない、
ADHDな自分を肯定していく。




(でも目の前の人への思いやりの心は、決して忘れない)



など、当たり前を変えていってみた。




ちなみ最近はよく遅刻や寝坊をよくするが、
人間関係も変わり、周りも理解してくれる人が増えて楽に生きることが出来た。




色々向き合って変えてみた結果、
心が豊かになってきたし、
慌てることや焦ることも減ってきている。



何より「こうしなきゃ」と思うことが減って、
自分が心から望んでいることがわかりやすくなったのだ。

自分のことも大好きになってきた。





だから今後自分の好きな活動も色々手を出しやすくなっていってきて、
アート活動もやっと本格的に出来たのだった。






ここまでで資本主義経済をめちゃんこに言ったが、

勿論そのお陰で今こうして収入に困らず、
ライスワークとしてのお仕事も頂けていることは感謝している。




便利さは確かに有難い。


 
こういう経済社会で、ありがたいと思ったことはある。






善の中にも自分に合わないこと

悪の中にも自分に合うこと  



そういう矛盾をたくさん抱えていると思ってるから。

人間だもの。




自然食とか大好きだけど、
コンビニとかファーストフード使う時もあるし。





だけど日常の中で「それ必要なの?」と思うことも増えてきてしまって。




その「当たり前」って自分の心のために、
本当に必要?




ともう一度問いてみる。




当たり前の、断捨離。




今日はそんな個人の思う一意見、一世界観を
ツラツラと書かせていただきました。

  

何かを考えるきっかけになれば嬉しいです。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?