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執着心が愛に変わるとき

現在東京にて就活中の私ですが、
東京はコロナにより外出控えてね令が発布されてしまいました。

このnoteは前回投稿からまる2ヶ月が経過してしまいました。。。

私の生き方を変えてしまうくらい大きかった
大切な人との別れから2ヶ月

今、次の大きな一歩を踏み出せる時だと
私の心がそう強く主張していて
やっと、それらの感情に
言葉を与えることができるようになったので

この2ヶ月間の出来事を文章で記録します。

孤独の中歩き続けた2ヶ月

人生でこんなに
孤独を感じたことがあっただろうか

ウガンダの田舎で
肌の色が自分だけ白いという環境で
暮らしてた時の比じゃないくらい

とにかく寂しくて切なくて
世界が自分一人ぼっちになったようで
感情をどう扱えばいいのか分からない
「孤独!」って背中に大きく書いてるくらい
主張の強い孤独感を抱えていました。

これがよく言う、
”心にポッカリ穴が空いた”状態なんだろうか

以前のnoteで
「勇気を持って一歩踏み出す」
って、いかにもポジティブで
カッコよさげな投稿したのに

現実の私は全然弱いままで
考えれば考える程惨めで

自分、カッコわる…
とか打ちひしがれながら、
東京駅から自宅まで1時間半かけて
トボトボ歩いて帰ったりしてた。

夜道、人混みを避けて
MISIAの「流れ星」を
エンドレス脳に流し込みながら
マスクびしょびしょになるくらい
涙流しながら歩くのは
エモいのか悲しいのか

これも今では愛しい思い出。

*****

私、何でこんなに孤独感じてるんだろう?
寂しいながらもこの感情から解放されたくて、
考えていました。

物理的に孤独なわけではないし
むしろ、東京に来て人に会いまくって
人との繋がりは何倍にも増えてる
気にかけて連絡くれる人も、
胸の内を吐き出せる人もいる。

冷静に状況を見れば、
私が心を開いてないだけで
私はかなり多くの人に愛をいただいている。


そう、私は誰にも心を開けなかった


正確に言うと、
誰も私の心に入ってきて欲しくなかった。

それは多分、
誰かに私の本心を勝手に評価されるのが
否定されるのが物凄く嫌だったから。
私の本心を、私自身にも隠していたから。

「自分に嘘つかず生きていく」
って、しっかり宣言してたのに
またしっかり嘘ついてたんだなぁ私

でも、当時の私は
嘘でも理想の自分を掲げて
人に声高らかに宣言して
前に進めてるような
前向きな言葉を使ってないと、
少しでも気を緩めたら
私はもう戻って来れなくなるんじゃないか
そんな危うさを感じていました。

嘘ついてでも、
ポジティブなこと考えて口にしてたら
きっといつか心からそう思えるようになる
ネガティブな自分は表に出しちゃダメ、と

それ以外に
前に進む方法を知らなかったんです。

それが結果、
何にモヤモヤしてるかも分からないくらい
モヤモヤを大きくすることになるとも知らず。


隠してたのは、執着心だ

私が自分にも偽り続けて押し殺してた
私の本心って何だろう?

正直、言語にしたくないだけで
その正体は自分がよく理解していました。

私がふと一人になる時に陥る
ネガティブの思考サイクルは、

私は本当に心から相手の幸せを願えているか?
彼はもうずっと前に進んでるのに私はどうだ?
もっともっと必死にならなきゃ彼に追いつけない
彼は多くの人から信頼を得ていて
こんな取り柄もない私を誰が信頼するんだろう
私はなぜ彼に愛してもらえたんだろう
自分の存在価値を認められない
etc...

しまいには、
身体的なコンプレックスにまで行き着く始末。
それもう全然関係ないやん…

文章にしてみると、
全部言い訳だしナルシストだし
思考停止の極みだし
時間とエネルギーの無駄使いだと
自分をどつきたくなる。

でも
私はまだまだとても弱くて
こんな分かりきった
言い訳の思考停止に嵌まって
なかなか抜け出せないこともある
本当に不器用だし自分に甘いけど
これも紛れもない今の私なんだと
改めて自分の弱い部分を
知ることができました。

話を戻して、

これらネガティブ思考の本質は
私の、彼に対する気持ちへの執着心である。

執着しなくなることが寂しいんだな、私。

そう気づいて、
執着心を否として許さなかったこれまでと
執着してる現状を素直に受け入れられたら

じゃあ、

この執着を心からの愛情にしていこう

こうでなきゃダメ!じゃなく、
今のありのままの自分を
受け入れて、愛して、
自分の幸せなあり方を想像していこう
内向きに、ネガティブになってしまう自分から
心から相手の幸せを願える自分へ。


大切な人とのお別れは
耐え難い大きな痛みを伴うけれど、
この痛みから逃げようと
相手を憎んでみたり
忘れようとしてみたりするんでなく
ただただ、愛情に変えていきたい

そんな向き合い方を教えてくれたのもまた、
彼の大きな愛の力だったなと
感謝が溢れる幸せを噛み締めて

お別れから2ヶ月経った今

ようやく、大きくて小さな一歩を
踏み出すことができました。


愛とは、互いの”心の穴”を受け入れ合うこと

とある本でこんな趣旨のお話をされていた。

人は大小あれど心の穴を持っている
心の穴は形も大きさも人それぞれ
幸せな人は自分の穴の形を理解して
それと折り合いをつけて付き合っている

 幸せでないカップルは、
自分の心の穴の形を知らないまま
相手を使って自分のそれを埋めようとする
(=恋)
穴の形を変えようとする(欠点を直そうとする)ことが自己否定に繋がり、
自己否定が相手を傷つける

 想い合うカップルは、
互いの心の穴を受容し合う(=愛)

後悔すると分かっていながら
寂しさを埋めるように
体の関係を持ってしまう人の本質は
”愛されたい”という欲求ではないだろうか

 それはつまり、
「あなたは今のままでいいんだよ」
と、受容されたいということ

 自らの心の穴を知り、
自らで受容することができて初めて
心から愛し愛されることができるとするならば

 あなたの幸せへの道は
自らの心の穴を自分で受容する
自分を愛してあげる
というところから始まるのではないだろうか

※だいぶ私の編集が加わってます


「ありのままの自分を受け入れる」
「ありのままの自分を愛する」

ということの難しさと
それが実現した瞬間の最高の幸福感を
最高の形で知ることができた

ウガンダへの留学から始まるストーリーから
得た最大の喜びは、これに尽きると思います。

同時に
自らを受容し、愛し続ける努力を
逃げずにしていくことが
自分の人生を、自分で歩んでいく
その為に必要不可欠な基盤となることを
実感しています。


ウガンダへ渡航してすぐ、
私は自己肯定感がとんでもなく
どん底にありました。

自分には意思を持つ価値も
誰かを勇気付ける価値も
存在する価値もない

下がるところまで下がって、
どうやって上に登ればいいのか
上がどっちなのか
全く分からなくなっていた私を
全肯定してくれ、受容してくれた
醜い大嫌いな自分の心の穴を
全て曝け出すことができた
その全てを愛されるということを知った

そして、
相手の心の穴を受容し、愛することを知った

唯一無二の大切な人との出会いは、
自分を愛して生きる一歩を踏み出させてくれた

大切な人を失った経験は、
それでも自分を愛して 相手を愛して
自分らしく生きる強さを持たせてくれた

たった1年半という時間に詰まった
濃密で尊い感情たちを、
ふと眺めたり 整理したり
たまに散らかしてみたりしながら

自分の幸せへ
確かに今日も一歩、踏み締めました。

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