詩「道のため息」
私はたまたま見かけた歩道に問いかけた。
「君、いつから整備されてないないの? 結構痛そうな見た目してる」
「ほらそこの君だよ。コンクリートの歩道」
歩道は答える。
「。。。」
たったの数秒だったけど、私の胸の中には物凄い虚しさが宿った。
「そうだよね.…..あれだけの風雨に耐えて、踏みつけられて、下にある下水道に人を落とさないように頑張ってるんだもんね」
「それでも、だれも君を見ない」
「そうでしょ?」
「。。。」
ガラスの質感のようなため息が聞こえた気がした。
ここは特段人の手が入らないような場所ではない。
人口数百万人の大都会だ。
人通りも多い。
「残念だけど、私には君をどうすることもできないの。修理する道具も技術もない」
「私ができることは、市役所に行って修理を依頼することぐらい。それだけ」
「でも生憎、行く気が起きないんだ。ごめんね」
「無力な私で」
「 」
何も聞こえなかった。
私が一時、道路に宿したものか。
私がそれほどの思いを抱いていたのか。
もしそう考えるなら、私の気持ちを映したものかもしれない。
私の現実を映したのかもしれない。
なんだったんだろう。
静かに横たわる虚無感がやがて自虐感に成長し、自虐感が消えないまま、私はその場を離れた。
「 」
著者:遠海春
あとがき
お読みいただきありがとうございました。
まず、この詩の生まれた経緯について。
私の家の近くに、ぼろぼろの歩道があるんです。ガタガタで、スマホがちょうど落ちるくらいのコンクリートのすき間から下にある雨水用の川が覗けます。そのぼろぼろ具合に驚かされて、勢いのままに書いたのがこの詩です。
ぼろぼろで、ひび割れていて、すき間もたくさんあって。
だけど、道行く人を支えて、水路に落とすまいと頑張っている。
そんな歩道がこの日はなぜか目に留まりました。
話すことのできない歩道の気持ちと、無力な「私」の対話が主に描かれています。
で、この詩が出来上がったのはもう1年7か月以上前のことです。
私のメモを遡っていたら出てきたので、投稿してやろうと思いまして、コピペして貼り付けて、このあとがきを書いています。
この時の私が本当は何を語りたかったのか、何を伝えたかったのかは私にもわかりません。
ですが、今見るといい着目点だったと思います。
こういうところに気づいて、当たり前のように文章化できるような人になりたいです。
次回があるかどうかはわかりませんが、ここで終わります。
超多忙な遠海春でした。
ではまた。
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