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【 ホ・オポノポノ 】 クリーニング日記#027 :小さなクリーニングと大きなクリーニング

こんにちは🌱

最近、過去のKR女史さんのインタビューのアーカイブ
読み進めているのですが、
これが毎回痒いところに手が届くというか
読んでいて沢山のことに気付かされます。

”そう、ふっとよぎることに関して、大きなこと、小さなこと、というレッテルを貼っているのも「記憶」なのです。
たとえば、コップをひっくり返したとします。ある人は、「たいしたことない」と思うかもしれませんが、私ならその瞬間の私の反応をクリーニングします。
それが起きた原因が何かは、わからないわけですから。
ホ・オポノポノでは、「何を」クリーニングするか、ということは重要ではありません。「今、この瞬間クリーニングする」、そこにしか焦点を置いていません。
 この話は、結果がすぐ現れた例なのでわかりやすいですが、私たちが担当できるのは「クリーニング」まで。
そこから先は、いつその結果が出るか、どんな結果になるかは、わからないのです。
たとえば缶詰を親指の上に落として、「痛い!」と、なりますね。三次元的に見るとこれは普通のことで、「スープの缶が落ちて痛かった、終わり」、なのですが、何がそれを起こしたのか、その原因がどこにあるのか、私たちには知り得ないのです。私のいる場所で過去に戦争があったのかもしれないし、缶詰の鉄がつくられた場所にものすごい地縛霊がいて、その影響かもしれない。
遠い昔の宇宙でのできごと、その分子が缶の中に入っていたからかもしれない…。
 だから起きることをひとつひとつクリーニングしていくしか、私たちにはできないのです。”
by KR女史

KR女史へのインタビュー(8)

なるほど、⏫のKR女史さんによると

ドラマチックな事件によるクリーニングも
日常のささやかな出来事のクリーニングも
「そこにどんな記憶があるのか私には分からない」という点では同じで、
クリーニングの影響や重要度には差はないとのこと。

面白いですね…!

これまで大きな感情の揺れや、
繰り返される似たような出来事に対するクリーニングには
どうしても力が入ってしまい
「大掃除」だと、私は判断していました。
(そして、大きな変化も期待していたと思います)

逆に日常の微細な感情の動きに対するクリーニングは
ちょっとしたお片付け感覚で、
クリーニングしても小さな変化しか起こせないだろう、と
どこかで少し、軽視していました。

いやはや、
クリーニングに大きいも小さいもなく

目の前に現れてくれた
どのクリーニングも大切なのですね。

クリーニングを続けていきたいと思います😌

ここまでお読みくださり、
どうもありがとうございました🌿




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😌🙏🌿💫 POI