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評価と評判

「評価」と「評判」どう違うのでしょうか?

全盛期の巨人軍長嶋選手は「記録」でなく「記憶」に残る選手と言われていました。長嶋選手はこれといった記録はないのですが、多くのファンを魅了された選手として記憶に残っておられます。一方、世界のホームラン王になった王選手は、素晴らしい記録を達成されています。

二刀流で大活躍の大谷選手は、記録と記憶の両方をもった稀有な選手かもしれませんね。

「評価」が記録、「評判」を記憶という見方で考えてみたいと思います。

ある子が、100mを何秒で走るかは記録。運動会リレーのアンカーで最後にごぼう抜きで一位になりクラス中のヒーロになるのは記憶。

ところで「ゆとり教育」が一時期、日本でありました。その時期、米国在住で子育てしていたのでゆとり教育の実感はありません。しかし、ニュースで運動会で一位、二位などつけないように手を繋いでみんな一緒にゴールさせるようなことをしているのを知った時には、もう日本はだめだ!と絶句したものです。

勉強が苦手でもかけっこは速く、運動会では毎年ヒーローになるクラスメイト。その子の自信や可能性まで摘み取るような間違った教育は、

知・徳・体

のバランスに欠けた教育だったと言えるのではないでしょうか?

人事「評価」は人事「評判」とは言いませんね。

日本でも転職が当たり前に見受けられるようになりましたが、米国ではリファレンス・チェックを履歴書に添えるように求められます。上司、同僚、後輩、学校の先生など応募者に推薦状を書いてあげる人がどういう人でどんな事を書いてくれるか?ある意味、それは評価でなく評判ですね。

評価が数値化含むデジタル視点だとすれば、評判は人々の感情が惹き起こすアナログ視点。

「知」に対する「徳」、それを繋ぎ具現化するに必要なのが「体」。二刀流ならぬこの三拍子をバランスよく育てていくのが真の教育だと思います。

周囲の目という評判ばかりを気にすると自分が自分でなくなりますから気をつけないといけません。評判は結果であって、それを気にして行動するのはすでに自分を見失ってしまう落とし穴ですから注意が必要だと思います。

評価と評判が一人歩きせず、表裏一体な関係が理想かもしれません。でも一番良いのは、自分が居なくなった後にも良い評判が残り、人々に慕われるような人でありたいと思うこの頃です。


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