自分がゲスという自覚を持つ。

「お母さん」という言葉のイメージについて
ゲスいイメージを持っていた事に気がつきました。

あ、この価値観いらない、捨てよう、と思いました。

自分が「お母さん」という役割を担うようになって
「なんか変だな」
と思う事が増えました。

最近になってtwitterなどで
「お母さん」達が声を上げ始めて

「お母さん」側に立つ者として、改めて自覚するような事も増えました。
「子ども」側としても発見の毎日です。

一言で言うと
「家事育児をやる奴隷に猫なで声でお願い事をするゲスさに大多数の人が気づいていない」
気持ち悪さです。

シンプルにかつ乱暴に整理してみると、

お母さんは無償労働者、奴隷だと思います。

あえて乱暴に極論を言います。

お母さんは奴隷です。

無償労働者なんだけど、家族は頼み事をする事に引け目を感じず、
社会的無意識的に「えー、それお母さんやってくれないの?かわいそう」
という案件が多い。

奴隷が仕事をしなくてひどい、と言っているわけです。

無償なんだけど、その仕事。

お金をくれとかそういう話ではないです。
ただゲスな考えを無意識に持っているという自覚を持ちたいだけです。

自分が面倒くさくてやりたくない事を無償でやってくれる便利な存在として「あ、あった」的なラッキーさで誰もが安易に利用しているサービス、それが「お母さん」であり「嫁」です。

そして女の子は「嫁」になり「お母さん」になる事が幸せだと、すごーくしつこく刷り込まれ続ける。

無償の奴隷なのに。

無償の奴隷を長年続けてプロの奴隷になるともう無敵です。
鉄人プロ奴隷です。
鉄人プロ奴隷は自分が弱かった頃の事は忘れてしまいます。
何しろ現実を直視せずに目の前の仕事と少しの娯楽で長年自分をごまかし続けてきた達人です。
なので最近の若いお嫁さんの不平不満は全くわかりません。
ひたすら我慢して現状をやり過ごしてきた自分のやり方しか知りません。
そこから更に何か若い人と共に改善策を探るには疲弊しすぎています。
現実を見ないために作った彼女らの鉄の壁は厚くて高いです。

無償の奉仕活動を長年続けてきた人って尊いです。
でも、鉄人プロ奴隷もそうですよね。
無償の奉仕活動をしている人には
それ以上の負荷はかけないのが人情だと思います。
それが奉仕する側もされる側も麻痺してしまっているのが
「お母さん」とその家族ではないでしょうか。
自発的な奉仕活動と、なんだか知らないけど当然のように頼まれる他発的な奉仕活動って出発点からしてもう違う。

「家族の笑顔が報酬」

とかわけわかんない価値観も全くいらないゴミです。

それは確かに嘘ではないんだけど、
子どもの笑顔や寝顔は確かに宝なんだけど、

そして人生経験的には、突き抜けてしまえばそれは
できあがる人格的な視点で見ると悪役をやってくれた人には感謝なんだけど、

その前にその安易な価値観にあぐらをかき過ぎた代償としての
虐待児の増加に無自覚すぎると思っています。

家族だって人間なんだから「お母さん」とぶつかり合う事もあるし
こんちくしょうと思う事だってある。

そんな時にそんなやつの笑顔が報酬?ふざけんなですよ。

家族神話はもういりません。

とはいえ私も長い事「お母さんがこれやってくれなかった」
「お父さんがあれやってくれなかった」

と大人になっても無い物ねだりでこじらせていたので

どんだけ図々しかったんだろう、と思います。

ただ自分が出来上がる過程で得た価値観に従って感じていたものでもあるので、なんだかわからないけど拾っちゃったいらない価値観をどんどん捨てていきたいんですね。

いざ自分が「お母さん」を始めてみると、自分が奴隷になったような気分を味わう事が多かったです。

「ママお願いね」と頼み事をされて、違和感を感じていました。
(それはクタクタだったのもあります。休む事が下手なので)

(そこで「私がいないと駄目なんだから。ふふ」
とか思える人はそこでもうそういう「うっとり感」みたいな報酬を得ているから続けていけるんだろうなぁ)

夫や子どもが気弱でグチグチ聞かされる事が多かったんで
「家族の愚痴や弱音をもう聞きたくないんです」
とカウンセラーに相談したら
「それは家族がかわいそう」
と言われた事もありました。

「そうかなぁ、自分を変えなくちゃ」

と数年迷ってたんですが、
違うじゃん、私は私の心の健康を守りたいだけ、
家族といえども人間同士の付き合いな事には変わりはない。
お母さんにだって、嫁にだって、自分の心を守る権利はあります。

どんだけ奴隷マインドだったんだ、私。

なんとなくイメージする子どもや夫の視点↓

お母さんはいろんな事をやってくれる。
無償でやってくれる。
子どもがかわいいから。
家族が大事だから。

あれ、へそ曲げてるぞ。

感謝して機嫌を直してもらって、
また色々とやってもらえるようにしなきゃ。

そうしないとこの家は回っていかなくなる。

ごろにゃん、お母さん、ありがとう、いつも甘えてばかりでごめんね。

ところで猫を飼いたいんだけど、だめかな?
え?どうせ世話するのは最初だけで私が面倒見る事になるんでしょ、って?

いやだなぁ、ちゃんとお世話するって〜。

かくしてお母さんの無償の仕事は増えていくのである。

これ、でも、違和感ないでしょ?
手垢の付き過ぎたありふれたエピソードですよね。

社会的無意識は怖い。

単純なものが隠されてしまう。

まんまとそこにはまった者は
何がなんだかわからないままに
目の前の山積みの仕事をただこなしていく。

仕事に押しつぶされそうな者が求めているのは休息である。
手伝ってくれる腕である。
猫なで声の形ばかりの労りではない。
ましてや仕事を増やすだけの労りはもっての他である。

それを一番身近な家族がやっている。
なんだかわからないけどあきらかにおかしい
「家族のために見返りを求めず常にこまごまと動くお母さん」像を疑いもせず。

笑顔で鬼のような命令をくだしている事に気づいた方がいい。

私も鬼だった。

甘えればなんでも叶えてくれる、叶えてくれなきゃ親としてどうなんだ、
さあ叶えろ、叶えろ、と
親の背中に石を積んでいく鬼だった。

媚びて無茶ぶりをするゲスだった。

子どもが2歳〜9歳くらいの間、夫と役割交代していた時期があります。

その頃、私は夫に「お母さん」像をかぶせて
これができていない、あれができていないと
駄目出しをする毎日でした。

役割を戻してからは
夫が家事育児にノータッチになり、

無償労働の多さに根をあげた私が
仕事を減らそうと最初に切ったのが夫の世話です。

なんとなくぼんやりと見えてきたのですが、
幻を追い求めて本質が見えていなかったんですね。

イメージや幻の中で期待・落胆・被害者意識・幻の悲しみ・幻の寂しさその他諸々の感情にうっとりと耽溺するのはもうやめよう。

そこにあるのは
「家事育児を無償でやらせる奴隷の役割をいかに幸せな役割に見せるか」
という巧妙な仕組み。

その変な霧みたいなイメージは邪魔です。

一番顕著だったのが出産直後でした。

「幸せそうね」
と寝不足の状態の時に言われ続けてわけわかりませんでした。

寝不足で赤ちゃんのお世話をしていて、自分の食事も用意できず消耗し続けて
こちらのイメージは戦場で生きるか死ぬかの必死の戦いを続けている状態なのですが、夫には「隙がない」と言われ周りには「とても幸せそう」と言われました。

私も他人に対しては
「この人は今こういう状態だから普通は幸せに浸っている時期だって言われてるしこう言っておけばいいだろう」
って咄嗟にその場の挨拶程度に上っ面発言をしてしまいます。
イメージって怖い。

出産直後は、子どもがいない人に比べると自分は幸せなんだから弱音を吐いちゃいけない、
当の子どもが一番大変なんだから弱音を吐いちゃいけない、お母さんなんだから強くならなくちゃいけない、と
自分でもそういう幸せな強いお母さんの仮面をかぶってポーズをしていないといけないような気分にもなっていて、人間としての限界を一人の力で無理矢理突破しようとしていました。

それが夫には伝わらなくて
彼はいつまでも愚痴や不安や不満を垂れ流して精神的に私に甘えようとしていました。
こちらが戦場にいる事に気がついていないんですよね。
戦場に帰ってきて安らごうと思う事自体が無茶な話です。

でもそれがイメージとして安易に垂れ流されているのが現状なんだよなぁ。
「新生児がいる幸せな家に帰宅して安らぎ英気を養う新米パパ」

実際は
「戦場に呑気な顔して帰宅して自分でできる事さえできないで仕事を増やす無自覚な鬼」

なんですよ。

仕事で疲れてるのはわかる、でもここも戦場だ、
匍匐前進してでも家事をやれ、赤ちゃんの世話をしろ、
夜泣きと向き合え、無償で戦ってボロボロになっている負傷兵の手当をしろ、
なんですよ。

それがそのまっただ中にいる間は私にもわからなくて
うまく伝えられませんでした。

私自身がイメージの幻の中で生きていて
自分の今感じている感覚を無視し続けていました。

私は幸せなはず、なぜなら幸せと言われている形にちゃんとはまっているから。

自分の中から文句が出てくるのは気のせい。わがままなだけ。寝不足も自分の時間が無くて気が狂いそうなのも気のせい。赤ちゃんに関われるのは今だけなんだから、幸せなはずなんだから、がんばらなくては。


今、ある程度安全地帯に逃げ込めた事で
考えを整理する事を始められています。

だから今戦場のまっただ中にいるママさん達に
もっともっと声をあげてもらいたくて文章にします。

ブラック企業?
キツいのはわかる、逃げてって強く思う。
でも数時間でも休みがあるだけマシですわ。
お母さんにとっては家ごとブラックですわ。
24時間365日逃げられない強制収容所ですわ。

刷り込まれてきたイメージと現実とのギャップに気づいた「ママ」が戸惑いもがき絶望し、呑気な周りの「自覚の無い鬼」にあれこれ言われいつしか自身も鬼になり、そこから抜けられればラッキーだけど抜けられなければ一番身近な子どもが犠牲になります。

メンタルが弱ってる時にもすり寄ってくる子どもに
「今私鬼だから離れて!」という叫びも届かずかまわずグイグイ迫ってくるかわいい我が子が生け贄になってしまう。

という事でひとついらない価値観「素敵なお母さん」像を捨てました。

まったくもってけったくそ悪いこんな価値観を無意識に持ってたなんて反吐が出ますわ。

あーでもこれ、「お母さん」イメージだけじゃないですね。
「お父さん」イメージもそうだなぁ。
あらゆるイメージ化を一度リセットしなきゃいけない。

溺れるのはもうやめだ。

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