ニュージーランド55日紀行 22/55 変容のとき、分断から統合が起こる。
強い雨と風が続いた一日。
外出の予定もなかったので、部屋でゆっくりと過ごす。といっても、調べものや、仕事が休みの夫とのやり取りで、携帯電話を使っている時間が長く、頭を休めるのは難しい。
夜は、フラットメイトとベトナム料理を食べに行った。
ベトナム人オーナーが、常連客に素敵な笑顔で挨拶をして、テキパキと動いている。街の中心部とここと、二軒を切り盛りして、若いのにすごいな。
この、山に囲まれたニュージーランドの観光地に、このオーナーさんはどうやって辿り着いたのだろう。
お店が成功して、規模を拡大して、素敵なジーンズを履いて颯爽と歩く彼は、自国の同級生からは羨望の眼差しを向けられるのだろうか。
ふと、そんなことを想像したとき、今までの自分と今の自分の立ち位置とが分断されたような感じがした。
家族と住んでいる日本の田舎町は、コミュニティーの仲間同士で、モノやサービスを譲り合う精神のもと、少ないおかねでも生活できる場所である。
地産地消、サステナビリティ、パーマカルチャー、農的暮らし、身土不二。
自給自足に向けて、ていねいな暮らしを、家族やコミュニティーでしていく。
そんな感覚に憧れていたし、少しだけど実践もできた。子どもたちものびのび育っているし、自宅出産もできたし、十分すぎるほど、幸せだ。
私の幸せを、見つけた。これでもう人生十分だ、と思っていた。
だけど、そう言いながら私はいつも満足していなかった。何かしなきゃと焦りながらも、何もしたいと思わなかった。
自給自足、おかねに頼らない生活を実践している人たちは、実は働き者で、才能もあって、決してラクをしているわけではない。
素敵な人たちにたくさん出会えた。そこでした経験や出会いは、私の宝ともいえる。
なのに私は虚無感から抜け出せず、海をボーッと見ているだけだった。たっぷりある時間の中で、スローライフを楽しみながら、才能のある人と自分を比べてコンプレックスを抱えて、イライラしていた。
私はそこから今、離れようとしている。
おかねのかかる生活、家賃も今の何倍も払うことになる生活に、家族を引き連れて飛び込もうとしている。
色んな国の人たちが暮らす、地に足とは程遠い、流動性、多様性に溢れるこの場所に。
このシフトチェンジが正しいのかどうかはわからない。
でも、安定(しすぎた)、あるいは、分かり合いが保証された(ように錯覚できる)暮らしの中で、私はぬるま湯に浸かって、仕事に対するモチベーションを上げられなくてもがいていたのだとも思う。
何もここまで来る必要はあるのか、それは分からないけれど、ずっと同じ場所で安定して生きることが、死と同じに感じてしまった時以来、もうこうなる運命だったのかもしれない。
戻る場所がある。進んできた道が、私たちを支えている。
それならばこの先の道は、勝負してみないか?
自分を成長させられるのは、どっちなんだ?
そんな風に自分を追い込んで、広大な自然の横で、おかねを得る生活をしていこうとしているのである。
いつかここで、多様性の中で、サステナビリティを実現するために。
いつかもっと、見栄を張ったり人と比較しない、農的なスローライフを実践するために。
ベトナム料理のオーナーさんのように、おかねの為だけにあるのではない、ここの人たちの笑顔や優しい言葉がけ、穏やかさに触れるたび、私の選ぼうとしている道が、少しだけ鮮明になっていく。
矛盾がいつか、混沌がいつか、新たな地図に繋がることを信じて。
そう、きっと一旦離れたら、簡単には戻れないだろうことも薄々気づいてはいるのだ。
変わりゆく自分
変わりゆく状況
それを、そのままにせず受け入れ
より自分が描くカタチに近づけていく
そういう風にしか、生きられないから
そういう風に、ただただ進んでいく。
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