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ひとつになる世界と、世界の片隅で始まったひとつの生活

世界が、変わってしまった。

じわじわと、忍び寄っていた脅威が、
地球上のあちこちで猛威をふるって、
世界は今、ひとつになっている。

恐怖と、きっと気づかされる愛で、ひとつに。


毎日こんなにも多くの、同じ祈りを、
果たして人々は今まで共有してきただろうか。

そんな中に生きている私はというと、
今、ニュージーランドに移り住んで3週間めだ!

ここまでの道のりは、
奇跡と導きと、感謝の連続だ。

出発前数週間は、ニュージーランド移民局のホームページをチェックする毎日。中国からの入国禁止に始まり、私たちの出発日直前には、中国に加えてイランからの入国禁止、韓国とイタリアを経由した場合は入国後に14日間の自主隔離をすべき、という状態だった。ここに日本が加わりませんように、という思いと、どうか子どもたちが出発当日熱を出しませんように、という願いと、怒涛の断捨離と荷造り地獄と。。

眠りも浅く、気持ちが張り詰めたまま、何とか持ちこたえた、日本での最後の日々。

そして迎えた出発当日は、仲間に見送られ、お別れと今までの感謝の気持ちに、涙が溢れた。少し心細くも感じて、でも今回は家族を抱えて行くのだから立ち止まってはいられない。

飛び乗った飛行機はガラ空きで、子ども3人を連れた身には快適そのものだった。
5人で、4人席を3列も使えた、きっと前代未聞の空の旅。

到着した2日後、
待ってましたと言わんばかりに、今後の入国者は14日間の自主隔離、とのニュース。「滑り込みセーフでラッキーだったね!」なんて言っていたのもつかの間、すぐに、入国して2週間経っていない人は、念のため自主隔離をした方がよいという風潮になった。

私たち家族は、厳密には自主隔離の義務は免れたものの、自主的に、自主隔離のような生活をすることになった。

着いてすぐ、行う必要があった事の数々が滞る。

銀行口座の開設。
給料を貰うために必要な、登録ナンバーの申請。
一時的な住まいからの転居先探し。
子どもたちの学校および保育園の手続き。
かかりつけ医の登録。
職場とのミーティング、仕事の調整。

面と向かって誰かと行わなくてはいけないことが出来なくなってしまったので、全て2週間後にスタートか。。。

なんて思っていたのもつかの間アゲイン!!

あれよあれよと、ニュージーランド国境封鎖、緊急事態宣言そしてロックダウン。

・・・入国から、ほぼほぼ、何もしていません。

でも、ほんの数日だったけれども、自粛しつつも出来たことに救われている。例えば職場のマネージャーに会って話せたこと、銀行とも顔を出せた時期にやり取りしていたおかげで、マネージャーに代理で口座を開いてもらえたこと、これは本当に助かった。
それに助成金の申請も、動ける時に書類等提出できたおかげで、何とか手続きができた。


日本から送った重いダンボールたちは、いつ届くか見通しは立ちません。と、出発前に郵便局で言われたが、先週末、予想していたよりも早く、無事玄関先にドデンと置かれていた。
そして今日になって、明日から日本からの国際郵便がストップするというニュースを小耳に挟む。

何もかもがギリギリセーフで今ここに存在していて、奇跡の連続だ。

今のところ無収入→失業→帰国(するにも飛行機飛んでなくて出来ないけれど!)は、免れそうだというだけで、予定通りの額の給料は出ないもののホッとしている。
でもだからといって、この先なんの保証もないんだな、と、日に何度となく思う。

今は、この静かな、動きの止まった町で、私は日々を丁寧に、毎食のごはんを心を込めてつくって、生活をしている。家族5人で寄り添って、一緒に過ごせる貴重な時間を、大切に過ごしている。

それだけで、今にしか存在しえない、貴重な生の時間なんだ、とかみしめながら。

寂しいときは、『8時だョ!全員集合』を観ようと思う。笑って笑って、涙を流して、偉大な人が生きた証と、歴史を心に刻みたいと思う。

遠く、遠く離れても
きっとひとつに繋がっている。

ひとつの世界と世界の果ては、
きっと愛が繋げている。

変化の中に、普遍は生きつづける。

だからすべてに、ありがとう。

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