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副志間高校3年A組【4.佐藤順子】

日当たりの良い吹き抜けのホールを、私は毎週土曜の13時に必ず訪れる。しぼんだ皮膚の奥にまだ光の残る沢山の目が、一斉にこちらを向く。車椅子の一団の中に、母がいる。周りよりも明らかに30歳は若い。

老人ホームというところは、なかなかそう簡単には入れないらしい。母の担当のケアマネから聞いた。母は特例だった。40代で最初の脳梗塞になり、小さな梗塞が出来るたびに救急搬送と入退院を繰り返し、もう自宅で暮らせない体になった。

「順ちゃんよく来たねぇ。学校はもう終わったの?」「いや、これから仕事だよ」「仕事?そうかい、そりゃあ忙しいねぇ」毎週繰り返すこのやりとりすら、いつまで出来るかわからない。認知症が進めばきっと、私のことだってわからなくなるだろう。


私の職場のスーパーは、慶祐荘(母のいる老人ホーム)から歩いて10分くらいだ。今日は14時から閉店処理後の22時までの勤務。土日は家庭持ちの人達が休みたいから、このシフトを組まれることがほとんどだ。

高校1年の時からここでバイトしてるので、同じところで10年も働いていることになる。来る日も来る日もレジ打ち、品出し、在庫チェック。こんなのとっくの昔に飽きているが、転職する気なんて全くない。今更新しい仕事を覚えるなんて、そんな向上心は私にはない。この仕事をずっと、何も考えずただひたすらやっている方が楽だ。自分から進んで苦労なんかするものか。

入ったばかりの頃は先輩(おばさん)にイヤミの1つや2つは言われたが、10年も働いているとそんなことはなくなる。「順ちゃん、あれどこだっけ?」なんて、物忘れがひどくなったのを言い訳に、あれこれ聞かれることが多くなった。

パート勤務ではあるが、今の職場に不満も好感も持っていない。きっとこれからもこのまま、ここで働き続けるんだと思う。私は今日も、ほとんど無意識で緑のエプロンと紺色のバンダナを身につけ、ロッカールームを出た。


ただ1つの不満。このスーパーと自宅の移動が嫌だ。私の家は一応副志間の市街地だが、中心から外れた海岸にある。しかも隣町に向かう車がビュンビュン行き交う国道に面している。海からの強い風が吹き、道路を隔てた反対側には防風林が立ち並ぶ、けして明るいとは言えない道。職場に行くにしても、コンビニやホームセンターに行くにしても、スーツケースを引きずってバス停に行くにしても、その道を通らないとどこへも行けないのだ。

父を早くに亡くし、母も若くして施設に入り、パート勤務を続ける私には、車の免許を取って車を買い、維持していくだけのお金なんてない。兄はいたが行方知れず…という言い訳もあるが、本当はやる気がないだけかもしれない。もちろん、もっと中心部に引っ越すのもめんどくさい。

だから私は毎日、潮風と共にこの道を歩いている。 


若い時に苦労した人は頑張り屋さんで根性がある、なんて言うけど私は違う。昔から何をするにも面倒で、私の意志なんて何にもないのだ。学生時代は不良に憧れもしたが、せいぜい部活をサボって校内を逃げ回ったくらいだ。それだって、花恋のお遊びに付き合ったようなもの。

今まで私が意志を持ったことなんて、バイトを始める時くらいだ。家族がおらず、たった1人で生きていかなければならなかった。母の貯金を切り崩しての生活で、バイトをしないと小遣いなんてなかった。必要に迫られないと意志を持てない。いや、必要に迫られる=絶対やらなきゃいけない だとしたら、私は生まれてから一度も、自分の意志を使っていないのかもしれない。

もちろん、意志がないと人生は変わらない。私は副志間から出れない。年齢の倍のスピードで萎びていく母を放っておけないから、ではなくて、自分自身の生き方を選び取るという、そんな立派な意志が私にはないから。きっと母が元気で一緒に暮らしていたとしても、副志間から出れなかっただろう。


だだっ広くて暗い道を、順子は1人で歩く。遠くの方から海鳴りが聞こえる。ザァーともゾォーとも言えない音。日中だと爽やかに感じる時だってあるのに、夜だと不気味な音になってしまう。相変わらず風が真横から吹き付け、髪の毛が右側に吹かれる。潮風に当たった髪は毛先が塩分で固まり、後でそれを指で割くのがついついやめられない癖になるのだ。


家に着いて22時半。すぐに入浴し、簡単な晩御飯を作って24時。明日も14時からの勤務だ。これからようやく私の時間が始まる。

PCの電源を付け、チューハイの缶を開ける。プシュッと軽やかな音が部屋に響いて、私の頬は緩む。ほろよいのハピクルサワー、まとめ買いして良かった。

ネトフリ、アマプラ、アベマ、HuluにU-NEXT…動画のサブスク、主力はほとんど登録している。昔観たドラマや映画、限定ドラマ、バラエティなんかを片っ端から観るのが私の趣味だ。

ただただぼーっと観ているのではない。ちゃんとした目的がある。それは、「イケメン探し」。長年ジャニオタやってたが、最近はそれだけで満足しなくなり、ついにタレント全般まで漁るようになった。

最近推してるのは北村匠海。この事務所のアイドル界隈はキョーミないが、匠海くんは別格。真面目そうなのに、たまに目が死んだ魚みたいになってるのがヤバい。


なんだ、私はちゃんとした意志のある人間じゃん。イケメンという宝を探す時だけに発揮される意志だけどね。




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