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ぐでだまになった翌朝、歯磨きしながら聴くウルフルズ

note創作大賞に、応募した。昨日。ギリギリセーフ。

不思議なもので、書いてる時は「こんな表現が自分の中に眠っていたとは…」とか「ここで伏線回収になってて我ながら良い発想!」とか自信たっぷりなのに、いざ応募してみるとそれがガラリと変わる。

話の辻褄が合っていないんじゃないか。よくよく考えたら設定が不自然じゃないか。そもそも全く面白くないんじゃないか。ダサいんじゃないか。

自分の渾身の一作への疑念なんて、いくらでも湧いて出てくるのだ。

完成してからも作品への不安は常につきまとう、とは誰が言ったものか、プロならそんなわけないと半ば疑っていたが、それは嘘じゃなかった。

プロでさえも不安なら、アマのアマは不安まみれになって当然だ。例に漏れず私も昨日から、応募した作品への評価をかなり気にしていて、意味もなく何度も何度もnoteトップページを開いている。

こんな作品、誰も求めてないのによく最後まで書けたなと思っている。

そんなわけで、昨夜は荒れた。荒れた、というと少し語弊はあるが、人生で初めて物語を書ききった喜びと安堵、そして出来栄えに対する不安で「もんもん」としていたのだ。

私の「もんもん」は何を呼び寄せたか。大昔から人類は「もんもん」とした時に何に頼ってきたか。そう、酒ですよ、酒。1人で宅飲みは何ヶ月も止めていたが、もう飲まずにいられなかったのだ(とんだ飲んべぇ女ですね)。

飲んでる時の姿をよその人が見たら、ベルトコンベアーの上を淡々と流れていくかのごとく、ただの作業みたいだと思っただろう。それくらい、私は仏頂面or無表情で飲み食いしていた。

そう見えたとしても、私はとても楽しかった。本当に久しぶりにコンビニで「年齢確認が必要な商品です」を聞いた。冷凍食品やお菓子やパンという“いかにも…!”な食べ物を買い、強めのアルコールと共に全部なくなるまで胃に放り込み、“娯楽の象徴はラスベガス、堕落の象徴は○○○”とも言うべきあの動画サイトを観ていた。

うぉ……私、駄目人間してるぞ…と体感するあの時間が、たまらなく楽しかったのである。ぐでだまぐらいぐでぐでしていたのである。

しかし、それは長く続かない。充分時間を空けたはずなのに、入浴後、ありえないくらい具合が悪くなった。ストーブの前でヒーヒー言ってたのだ。目玉焼きにされ、半熟になるか全て焼かれるかの瀬戸際みたいに苦しかった。って書いてみたけどこの表現面白くなくなくないか。まぁ実際、あの瀬戸際が一番美味しいと思うのだが。

私の目玉焼きの好みはこの辺までとして。入浴後、どうにも起きていられないので、ベッドに直行して眠ってしまった。気づくと朝である。まだ、あのぐでだま感は抜け切らない。

何か、馬鹿みたいに元気の出る音楽を聴かなければと思った。だから、歯磨きをしながらウルフルズを聴いた。身体がウルフルズを欲していた。

冷蔵庫にもたれかかり、シャカシャカシャカとひたすら歯ブラシを動かしながら、1曲だけ聴いた。聴いている間、私は何にも考えなかった。本当に何にも。すっからかんの頭の中に、トータスの「見た目も中身も濃いめ」な声が響くだけだった。

聴き終わるとびっくりするほどに、いつもの自分に戻っていた。いや、いつもよりも元気なくらいだ。昨夜からはびこっていたぐでだま感は去り、いつのまにか「また頑張ろう」そう呟いていたのだ。

私の作品は、今はまだ誰にも求められていないだろう。この先も、求められずに終わっていくかもしれない。でも、それでもまた頑張ってみよう。誰のためでもなく自分のために、頑張ってみよう。

そんな風に思えたから、今朝は気持ちよく出勤できた。食パンくわえたヒロインのように、元気な小走りで、雪が大量に降り積もった職場へ。

プレ社会人期の大事な時に出会ったウルフルズは、時に羽目を外して遊ぶことも大切だよ、と私に教えてくれる。彼らの曲には一貫して“遊び”があり、遊べる大人の強さと格好良さを伝えてくれる。

だからたまには、遊んでぐでだまになったって良いんだよ。そう思った。昨夜の遊びまくったTweetを眺めながら。



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