オードリー若林の「ナナメの夕暮れ」
初めて若林の本を読んだ。
オードリーのオールナイトニッポンを聴き始め1年と3か月。
ラジオにどっぷりハマった私は、テレビにもハマり始めた。
あちこちオードリー、ばちくるオードリー、じゃないとオードリー、、
…さほど観てないかもしれないが、ラジオは毎週欠かさず聞いていた。
5年ぶりに旧友の家を訪ねると、この本が置いてあった。
前作の本も置いてあった。
エッセイを目にするのは星野源の本以来かな。タイトルは忘れた。
セールで安く買えそうだったのでぽちっと買ってしまった。
一年間オードリーを聞き詰めたおかげで本の中の話題や内容の一部は、ラジオやテレビでも聞いたことあるようなテーマが盛り込まれていた。
若林と自分が似ているな、と思ったところや共感できたところを紹介する。
女性との話がつまらない
若林がデートで一生懸命女性を盛り上げるも、自分自身はつまらないという話。
これはモテない男なら必ず共感するのではなかろうか?
以前、男友達ともこの話で語り合ったことがある。
ただ楽しく会話するなら男同士で十分。遊ぶのだって生活するのだって男同士でやっていくほうが楽しいに決まっている。
異性に求めることは、男同士では叶わない行為のときだけだ、と。
男同士でドライブしているときにこの話題で2時間くらい盛り上がった。それぐらい楽しかったし、分かり合えた。
異性ならこうはならない。
しかし、たまに男友達のような異性が現れるときがある。
それは友情か、愛情か。
お互いの認識がうまく合わないことのほうが多くて、一方が友情だと思っていても、一方は愛情だと思ってしまうことがほとんどだ。
そんな話も盛り上がって話した。
若林の本を読んで、そんな話題を思い出した。
改めて考え直してみた。女性との会話がなぜつまらないのか。
経験から考えるに、女性との会話がつまらないと思ってしまうのは
「共通の話題、趣味、関心ごとがないから」
これが、ほとんどだろう。
男友達なら、友達になった時点で何かしらの共通点があったから仲が良くなったのだ。そして、「こいつなら分かり合えるかも」とお互い寄り添いあうことで、新たな共通点が見つかっていくのだ。
しかし、異性と仲良くなるきっかけは第一印象の良さとちょっとした下心だけで「分かり合いたい」と思いと期待が先行し、寄り添ってしまうから失敗が多いのだ。
実際、話をしてみると、共通点が全然なく面白味がないのだろう。
女性との会話がつまらないと思ってしまう2つ目の理由は
「相手の話を盛り上げていこうという意識がないから」
これは、自分の経験から洗い出してみた。
男友達や、初対面の男性と話すとき、話し手と聞き手がスムーズにスイッチしていることに気が付いた。
そして、聞き役がうまい。相手の話を引き出そうと、聞き手がうまい具合に話を整理したり、誘導したりしている。
だからお互い気持ちよく自分の話ができて、楽しく感じるのだ。
つまらないなと感じる人は、男でも女でも、圧倒的に自分一人で話してしまう人だ。聞いていて疲れてしまう。
鉄板であろう長尺のストーリーを事細かに話してくる。
話を訊き返したり、別の話を聞く隙間がない。独壇場だ。
笑いや相づち以外のリアクションをさせてくれない人の話は疲れる。
集中してテレビを観ているような感覚だ。
その人がトイレに立った瞬間が、CMのように我々が一息つく時間となるのだ。
ビジネス本にもよく書いてあるが「コミュニケーション上手はしゃべるよりも聞くのがうまい」ということなのだ。
だから、若林のように女性を盛り上げるために一生懸命話続け、女性が爆笑して満足していても、自分自身は疲れ切ってしまうのだ。
相手を楽しませることができても、自分が本当に話したかったことや、相手に聞きたかったことは聞くことができず、満足感を得ることができない。
最後に、女性との話がつまらないと思ってしまう最大の理由は「女性との話がつまらない」と思い込んでいるからだ。
思い返して欲しい、初対面の男同士の会話や、嫌いな人との会話もつまらないことが多いことだろう。
でも、なぜそんなに苦ではなかったか、それは社会的意義があったからだろう。
仕事のため、コミュニティのため、先輩後輩、いろんな社会的事情があって、自然と我慢ができただけのことである。
あらかじめ「友達になる」という前提で会話を進めていたらつまらなかったと思う。
他人の否定が自分の行動の否定につながる
本の後半には、そんな内容の話題もありました。
自己肯定感が低い人が、好きなことを好きなようにできる人生に変わっていくお話が面白かったです。
発刊からだいぶ時間が経って、ほとんどの人は読んだことがあるかと思いますが、ぜひ読んでみてください^^
オフでは人見知りぼっちの私が共感した本でした。
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