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【短編小説】石膏像

 美術の授業は苦手だった。僕には小説の方が明らかに向いていた。美術室のど真ん中に居座る石膏像を木炭でデッサンするくらいなら、あのレプリカがどれだけ懸命にホンモノへと近づこうとしているのかを淡々と書く方が簡単だ。僕はこの時間に枷を感じていた。足ヒレをつけて泳いだときに、上手く水中を進めなかったときのようなもどかしさを美術の授業にも感じていたのだ。
 S先生はわりと寡黙な人だった。だからといって取っつきにくい先生ではなくて、わりと明るくて気さくな先生だった。美術準備室は好奇心を刺激する魅力的なものに溢れていて、いつも粘土や彫刻の教材が宝物を隠すようにして置かれていた。僕らがS先生のところにお邪魔するとき、先生があわてて彫刻刀を引き出しにしまうのが優しさを感じられて僕は好きだった。
 S先生は生徒の作品を褒めるとき、いつもしどろもどろになっていた。最初の頃は何か悪いことを言われるのではないかとビクビクしていたが、先生は決して僕らの作品を貶すことはしなかった。ヴィーナスの肩が脱臼していても、自画像の頭が平坦でも、先生は途切れ途切れに僕らの作品を褒めた。僕は戯れに、先生に僕の作品の悪いところを問いかけたことがある。先生は「どうしても聞きたいのかな(実際はこんなに流暢じゃなかった)」と確認してきたので僕は素直に頷いた。
 先生はとても頻繁に言葉を詰まらせながら、僕の絵には自由がないと言った。先生は僕が僕の絵に感じていた枷を見抜いて、それを僕の欠点だと言った。己の作品を憎むのは芸術家にとって罪か? 先生も僕もその問には「はい」と答える人間だった。僕はこのとき、S先生に偉大な芸術家の影を見た。先生は僕の、石膏像のねじれた首筋を撫でながら「上手くかかなければならないということはないんだよ」と言った(でも、学校の授業である以上、技量というのは多少考慮されてしまうのではないのだろうか)。
 僕は何も言えなくなって、ただ「ありがとうございます」と頭を下げた。
 僕が吃音のことを知ったのは学校を卒業してからしばらくした頃のことだ。S先生の喋り方を馬鹿にする生徒は確かに居たけれど、僕らは現金な生き物だから黙って絵さえ書いていれば通知表に5をくれる先生は嫌われるということはなった。ともかく、僕はS先生がS先生の思った通りに喋ることができないという枷を、何年も経ってから知ったのだった。そのとき、僕は美術の時間に感じていた枷を思い出す。果たしてあれは現実だったのだろうか? 僕は確かに絵において上手く泳ぐことができなかったが、果たしてその認識は正しかったのだろうか?
 スケッチブックと木炭を買って、グーグル画像検索であの日描いた胸像を引っ張り出したところで、結局答えは出なかった。当時の僕が描いたデッサンは今も引き出しの奥にしまわれていて、そこには「力強い線が非常に印象的です。迷いが消えたのが分かります。これからも是非、貴方の生活のどこかに絵を取り入れてみてくださいね」という赤ペンのコメントが添えられている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)