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【短編小説】評価星一つの飯

 湖上に船が揺れている。わりとしっかりした造りのそれは釣り人用のものであり、大物を運ぶのに適していた。ノアは船の揺れを魔力で極力抑えながら、湖面に餌をばらまくラスターの様子を伺っていた。「釣れそう?」という問いに、ラスターはわずかに首を横に振る。
「ぜーんぜん。気配すらしない」
「場所が悪いのかな」
「湖の最深部にわんさかいるって話なら、場所はここで間違いないはずなんだが」
「餌の魔力が悪いとか?」
「まさか」ラスターは肩をすくめた。「そんなグルメな魔魚がいてたまるかっての」
 二人は依頼でやってきていた。今回の依頼主は酒場「髑髏の円舞ワルツ」のマスターだ。新しいメニューのために採取をお願いしたいという申し出を聞いた時のラスターはやる気に満ち溢れていたはずだったのだが、その対象が「ティニア湖に住む巨大魔魚」――つまり、魚型の魔物と知るや否やラスターのやる気はすっかり枯死。普段からコバルトとともに「酒は美味いが飯はまずい」という評価を下している店の新メニューが「飯」の方だとなればそりゃあやる気もしおれるというもの。
 が、ノアはそうは思わなかった。魔魚は魔力の影響で身が引き締まり、脂も程よく乗っていて非常に旨いのだ。中にはこれを専門にする漁師までいる。そんな美味い食材を使った料理がまずいとは限らないだろう。素材の味でなんとかなるかもしれない。
 とはいえ、それは「魚が釣れたら」の話。メインの魔魚がいなければ依頼も終わらない上に料理の味も分からない。ノアは魔力探査をしてみたが、マナーの悪い釣り人たちが捨てていったと思われる釣り具に含まれる魔力が邪魔をする。ラスターがあくびをかみ殺していた。
「暇だなぁ」
「本当に魚がいるのか不安になるね」
「誰かが釣って、もう美味しく食べちゃったかもしれないな」
 ラスターが半笑いで冗談を言ったその時、ウキがぐいん、と大きく動いた。
 一瞬、時が止まる。が、ほぼ同時に正気に戻った二人は急いで竿にしがみついた。
「ラスター、どうすればいい!?」
 ラスターに身体強化魔術をありったけ展開しながらノアは声を上げた。船が丈夫で助かった。魚はものすごい力でこちらを引き込もうとしている。ティニア湖の巨大魔魚に関する情報はある程度集めてはいたものの、ここまでの大物はそうそういない。
「魔術で魚の動きを止められないか!?」
「やってみる!」
 竿から糸へ。魔力を載せて魔術を展開する。お得意の身体拘束魔術だ。発動から十数秒経った辺りで明らかに魚の動きが鈍くなったのが分かる。
「ノア、水面!」
 穏やかに煌めいていた湖面にしぶきが上がる。魔魚のひれが見えた。すかさず魔術で攻撃を仕掛けると、ラスターが叫んだ。
「殺すなよ、半殺しだぞ!」
 殺してはいない。動きを鈍らせただけだ。魔魚は体をぐるりとひねって、慣れ親しんだ湖底に戻ろうとした。その隙を見て、ノアは再度身体拘束魔術を投げた。
 魔魚がぷかりと浮く。たまにヒレが痙攣しているのが見える。
「殺すなって言ったじゃん」
「気を失っているだけだよ」
 魔魚は三メートルほどあった。魔魚にしては小さいが、普通の魚に慣れ親しんだ人々からすれば十分巨大と言えるだろう。
「あとはこれを締めるのはいいとして……どうやって運ぶんだ?」
 竿をしっかりと握っているラスターがノアの方を見た。
「輸送サービスを呼んである」
「マジかよ」
 ラスターは湖面にぷかぷかと浮かんでいる魔魚を見た。これを運ぶのは、骨が折れるだろう。湖岸を見るとノアが呼んだらしい輸送サービスの青年の姿があった。何はともかく、これから血抜きをしないとならない。釣った魚は早急に締めることで鮮度と旨味を保つことができる。生きたまま運べば魚に取ってそれがストレスとなり、せっかくのうまみ成分が消えてしまう。
 これだけ大きな魚の血抜きはラスターにとって初めてだったが、結局やることは同じである。
 輸送サービスの担当者は慣れたものだった。五メートル越えのドラゴンを運んだこともあるらしい。三メートルの魚の運搬など余裕といったところか。
「まぁ、珍しい依頼であることに変わりはないっすけど!」
 そういって担当の青年は笑っていた。
 行先は商業都市アルシュの市場。これだけの巨大魚を解体するとなれば市場を使うしかない。髑髏の円舞ワルツのマスターはすでに魔魚の解体のプロを連れてノアたちを待っていた。
「へぇ、完璧に血抜きまでしたのか」
「そりゃマスターの美味しい料理のためならできることはなんでもするさ」
 極力まずい飯は食いたくない、とラスターは小声で付け足した。
 ノアが輸送サービスの青年に依頼報酬を支払っている間に、魔魚の解体が始まっていた。三メートル越えの魚を一人で料理しきるのは厳しいらしく、余った分は買い取ってもらう予定でいるらしい。
「ここが脂が乗ってて美味いんだ。いいかラスター、お前らは俺の飯をまずいまずいと言ってきたが、この魔魚を使った料理ならお前たちも舌鼓を打つに決まっている」
「マスターの言う舌鼓って舌打ちか何かのことか?」
 マスターが思いっきりラスターの背中をはたいた。ノアはラスターの悲鳴を完全に無視して、魔魚が解体される様子を見ていた。

 魔魚の切り身をもってホクホクのマスターと一緒に、ノアたちは酒場・髑髏の円舞ワルツに足を踏み入れた。カウンターに見慣れた姿を見たノアは、いつも通りに声をかけた。
「コバルト」
 だが、その当人はまるで葬式を人の形にしたかのようなテンションでノアをじっと見た。
「切り身を持ってきたのか」
「依頼だったから……」
「終わった」
 そういってコバルトはカウンターに頭突きをした。
「コバルト、そう悲観するなよ」
 ラスターが流れるような動きでコバルトの隣の席に座る。
「あの魔魚を使うんだぜ? 味の保証は絶対にあるよ」
「遺書をしたためておけばよかった」
「おい、うるせぇぞそこのボンクラ二人」
 マスターから容赦ない攻撃を食らった二人は、互いに手を握り合って「こんな最期なんて悲しすぎる」「今からでも間に合う、逃げないか」などという茶番を繰り広げていた。二人が本気になればこの場からの逃亡など容易なはずだが、あえてそれをしないということはなんやかんやでマスターのことを信頼しているからなのだろう。
「座って待ってな。今からパン粉焼きを作ってやる。ほっぺが落ちるぞ」
「食中毒で、ってことか?」
 ラスターは少し伸びあがって厨房の様子を伺う。わずかに首を傾げ、眉間にしわを寄せた彼は大げさにため息をついて呟いた。
「ダメそう」
 コバルトが再度、カウンターに頭突きをした。ノアは何も考えずにラスターの隣の席に着いた。ラスターがポーチから小瓶を取り出し、ノアに差し出す。
「これは何?」
「胃薬」
「必要なの?」
「下手すると」
 ノアは胃薬の小瓶を手に取った。店の雰囲気を作り出す照明の光を受けて、きらきらと輝いている。魔魚が住んでいた湖面を思い出す類の輝きだった。
 厨房からはじゅー、と何かが焼ける音がする。ラスターとコバルトが同時に鼻をふさいだ。ノアはその行動の意味が分からなかったが、少し遅れて香草の強烈な刺激臭が襲い掛かってきた。普通、こういったものは食欲増進効果があるはずだ。しかし今ノアの鼻腔を猛烈な勢いでぶんなぐっているこれはどちらかといいうと薬剤の類のものだ。
「おい! 換気扇回せ! お前さんそれでも料理人か!?」
 鼻をつまんだ状態のコバルトが叫んだ。
「悪いな、俺は店を回すのは得意でも換気扇を回すのは苦手なんだよ」
 ぶうん、とファンが回る音がする。
「いつもこうなの?」
 思わずこぼしてしまったノアの問いに、ラスターとコバルトは同時に勢いよく頷いた。
「お待たせしたな。魔魚のパン粉焼きだ」
 三人の前にそれぞれ皿が並ぶ。魔魚の切り身のパン粉焼きに、付け合わせのおしゃれなミニトマトとパセリ。これだけならオシャレおつまみとして売りに出せる。これだけなら。
「いただきます」
「先立つ不幸をお許しください」
「……はぁ」
 三者三様の「いただきます」の後、まずは一口。
 ……オリーブオイルを十分に含んだパン粉が炭の味を繰り出す一方、肝心の魚には火が通りすぎている。水分も油分もきっかり排出しきっており、パッサパサの感触だ。魚本来の旨味や香りは完全に殺されており、多種多様な香草の自己主張が激しい。自分たちが苦労して釣ってきた旨い魚がこんな料理になるとはノアも予想外であった。ラスターの方を見るとすでにレモンハイで魚を胃に流し込んでいる始末であり、コバルトに至ってはトマトとパセリしか食べていない。
 が、この料理が末恐ろしいのは、「食べられなくはない」という一点だろう。頑張れば食べられる、というより「まぁ、こういうものか」という思い込みがあればなんとかなるというような。
「ほら、あんたにもオマケだ」
 マスターがノアの傍にレモンハイのグラスを置いた。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
 恐る恐る一口。
 ノアは温度差で風邪をひきそうになった。このレモンハイ、非常に旨いのだ。レモンのかぐわしさが優しく嗅覚を撫で、ほどよいアルコールが身に染みる。わずかにはちみつか何かが入っているのだろう。ほんのりとした甘さはレモンハイのすっきりとした感触を邪魔することなく寄り添っていており、味のアクセントになっている。コバルトが魚を完全無視してウイスキーを飲んでるのも、ラスターがレモンハイで魚を流し込んでるのも理解ができる。この味を知ってしまったらもうあのパン粉焼きに戻れる気がしない。ノアはラスターをまねた。それに気づいたコバルトが思いっきりむせていた。
「で、どうだったよ。俺のパン粉焼きは」
 自信満々に胸を張るマスターに、真っ先に反応したのはラスターだ。
「おかわりくれ!」
 ……空になったレモンハイのグラスを差し出しながら。
「そーじゃないだろ! パン粉焼きの味だよ味!」
 といいつつも、マスターはレモンハイのお代わりを注いでくれた。参考にならないご意見をほっといて、マスターはもう一人の試食担当に話題を投げる。
「コバルトは?」
「新鮮でいいんじゃないか?」
「トマトの味は聞いていない!」
 コントのようなやり取りの後、マスターはノアに向き直った。
「ポンコツふたりは置いといて、あんたはどうだった?」
「えーっと、」
 ノアはちょっと言葉を濁した。正直に言ったら店主が傷つくと思ったのだ。
「謙遜はいらない。正直に言ってくれ。な?」
「そ、そこまでいうなら……」
「ノアが言葉濁した時点で味は悪かったってことなのになー」
 ラスターはそう言って、二杯目のレモンハイを口にした。
「さ、外野はほっといて感想をお聞かせ願おうかな」
「まず、火が通りすぎています。水分も油分もすっかり出払ってしまって、本来のジューシーさが損なわれていると感じました。次に香草の使い過ぎで、魚本来の旨味が消えていると思います。そして――」
 そこまで言いかけたノアに、店主はストップをかけた。コバルトは笑いをこらえている。ラスターはコバルトの皿にあったパン粉焼きに噛り付いていた。胃に酒以外のものを入れたくなったのだろう。
「結構厳しいご意見をありがとう、お名前は?」
「ノアです」
「ノアか。覚えたぞ。一生忘れないだろうな」
「せっかく忌憚なき意見を述べてくれた相手にこの扱いじゃなぁ」
「閉店も秒読みか?」
 ひそひそと会話をする二人をマスターはぎろりと睨んだ。
「でも、お酒は美味しかったです」
 ノアは慌ててフォローを投げたが、その言葉にラスターとコバルトはゲラゲラと笑った。
「ほらやっぱり!」
 二人の声がぴったりと重なる。
「酒は美味いが?」
「飯は不味い!」
 ……見事な連携ではある。
 マスターは不服そうな顔をして顎を撫でたが、やがて小さなため息をついた。
「酒が美味いってならまぁいいか」
 それは諦めではなく開き直りに近しいものであった。実際、あれだけ料理を酷評していたラスターが酒のために二切れ目のパン粉焼きを平らげているところをみれば、別に料理の味など気にすることはないのかもしれない。
「だからいつまでたっても飯が不味いんだよ」
 ノアは思わず、正論をかましたラスターを小突いた。強烈な香草の臭いが鼻を通り抜けていった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)