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【短編小説】優しい嘘の日

「優しい嘘の日、って知ってる?」
 手元の本から視線を上げることなく、ノアがそんなことを言った。
 優しい嘘の日というのは、異国アマテラスに伝わる風習である。四月の初日にひとつだけ嘘をついてもよいというお遊びイベントだ。このとき、人を傷つけたり騙したりする目的で嘘をつくと嘘を司る精霊にさらわれるとされている。あくまで面白い嘘をついて楽しみましょう、というのがミソだ。
「面白い風習だなぁと思ってるよ。嘘ばかりつく連中もこの日だけは変な嘘をつけないっていうのもいいと思うぜ」
 ラスターは特に深く考えることなくノアの問いに答えた。ノアは穏やかにラスターの意見を聞いていた。ページを捲ろうとした彼の手が止まったときに、逃げ出せていればよかったかもしれない。しかしもう遅い。遅いのだ。
「この前コバルトにちょっと会ったとき、こんなことを言われたんだ」
 ノアの雰囲気が変貌する。ラスターの直感が「ヤバい」と警告を発した頃にはもう遅い。
「『ラスターはどうしてる? 腹の怪我は大丈夫か?』って」
 ぱたん、と本が閉じられる。ラスターは硬直した。静かにほほ笑むノアから視線を逸らせば「はい、私は怪我をしました。腹を刺されました」という答え合わせになる。
「コバルトも痴呆かな? 確かに俺はそういった怪我をする機会に恵まれてはいるけど、最近はそういうことはない」
 内心、あの偏屈クソ情報屋と悪態をつく。後でこってり絞ってやろうと思った。ともかく、今は目の前の脅威――静かに怒るノアをなんとかしないとならない。
 ふと視線を上げると、窓の外に三ツ目のカラスが居た。コバルトの飼っている魔物だ。ラスターが窓を開けると、そいつは丸めた紙をぽいと捨てて去っていく。ラスターはそれを拾った。
「どうしたの?」
「……コバルトからお手紙」
 ラスターは丸められた紙を拾った。そこには小さな字でこう書かれていた。

 悪い、ラスター。 口が滑った。

 あの野郎。あああの野郎、あの野郎……!
 しかもカラスにすぐ去るように指示していたということは「返事は受け取るな」という意味だ。情報屋引退しろ、という愛のメッセージは届かない。ラスターは紙くずを捨てた。ペンダントから現れたフォンが即座にそれを灰にする。
「何て書いてあったの?」
「仕事を頼みたいって」
「ふーん」ノアの声が低くなる。「俺はてっきり、『ノアに怪我のことバラしてごめん』って書いてあるのかと思ったよ」
 大体あってる、とラスターは思った。
「まぁ、怪我なんてしてないからな」
「そうなの?」
「そうだよ。俺はこの通り元気いっぱい。怪我なんてしてないさ」
 ラスターは肘を曲げた状態で腕をぐるぐる回し、自分が元気であることをアピールする。ノアが優しく微笑んだ。ラスターはほっとした。しかしそれもつかの間の安堵であった。
「じゃあ見せて」
「え」
「お腹。怪我してないなら見せられるよね?」
「えー、それはちょっと恥ずかしいなぁ」
 ノアが席を立つ。ラスターは思わず飛びのいた。その際に腹の傷が痛む。空気の読めないヤツである。
「逃げないでよ」
「怖いもん」
「そう?」ノアは普段通りであるかのような振る舞いを見せた。実際のところ全然普段通りではない。
 自力の応急処置でごまかした傷がそう簡単に治るわけもない。しかも開きかかっている。服の色である程度ごまかしは効くかもしれないが、流石に血が付いたらどうにもならない。
「と、ともかく! 俺は大丈夫だから!」
 ……ラスターは忘れていた。この場にいるのは自分とノアだけであると思い込んでいた。ペンダントから現れた裏切り者が、ノアに訴える。
「……傷口が開いたって!?」
 後でフォンを聖水に沈めてやろうか、とラスターは思った。
「開いてない開いてない」
「見せて!」
 といいつつ既に拘束魔法三重がけ。直立不動ラスター爆誕。膝立ちのノアがそして遠慮もなにもあったものではない勢いでラスターの服を捲る。ラスターは視線を逸らした。ノアの治癒魔法により痛みが引いていくのを感じながら、ラスターは言った。
「痛みや痺れはありません」
「…………」
 返事がない。
 あー、ヤバい。包帯の上からでも治癒魔法って展開できるんだなぁ、とどうでもいい関心をしながら、ラスターは目を動かしてノアの様子を伺った。顔色が伺えないのがまた恐ろしい。
 ノアが深いため息をついて、ラスターの傷を包帯越しになぞる。妙にくすぐったかった。
「よく隠せたね」
「あんたと会う前は、自力でこういうのもなんとかしないとならなかったからなぁ」
「でも今は俺がいるだろ」
 あー、ヤバい。これ完全に怒ってるパターンだ、とどうでもいい分析をしながらラスターは視線を逸らした。
「……まぁ、そこに関してはホントごめん」
「次やったら本気で怒るからね」
 あー、ヤバい。これで本気じゃないのか、とどうでもいい感想を垂れ流しながらラスターはノアを見た。雰囲気が随分と穏やかになっている。
「それにしても……一体何に巻き込まれたの?」
「地区の抗争だよ」ラスターはすんなりと答えた。
「上手く安定しているように見えても、実際はなかなかそうじゃないのさ」
 ――というのは、嘘だ。
 地区で抗争が勃発するのは珍しい話ではない。流血沙汰の大事件、というのも結構な頻度である。ノアはすんなりとラスターの言うことを信じたが、本当は違う。
 ラスターを刺してきたのは魔術協会からの刺客だ。王都騎士団を退団したノアを何とかして引きずり込みたい魔術協会にとって、ラスターは邪魔でしかない。ラスターを消すことができれば、ノアが魔術協会に来てくれると連中は信じているらしい。
 馬鹿げている、とラスターは思う。思い人の恋人を消したからと言って、そいつが自分に振り向くとは限らない。そんなことも分からないのだろうか。とはいえ、そんな適当な刺客に腹を刺されるラスターもラスターなのだが。
「ところで、ノア」
「何?」
「拘束魔法はいつ解いてくれるのかな?」
「俺の気が済むまで」
 ……どうやら、しばらくは許してもらえないらしい。


(空を飛ぶカラスの羽が、静かな青に輝いている)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)