見出し画像

【短編小説】未熟な果実

 近隣地域の小学校に通っていた生徒を一堂に会して作られたようなコミュニティには「Y中学校」という名前が授けられた。正確に言えば「Y中学校五十六期生」だ。見慣れた顔がぶかぶかの学ランやセーラーを着ているのを見ると、なんだか不思議な気持ちになった。それは僕を見たクラスメイト達も同じだろう。
 新たなコミュニティにねじ込まれた僕たちの結束力を高めるという崇高な目的の下、レクリエーション大会というものが開催された。どうやらこの中学校では、一年生がレクリエーションをするのが伝統になっているらしい。レクリエーションという大層な名前ではあるが、実態は単なる簡単な運動競技で、小学校の頃の運動会を、もっと小さな規模で開催するようなものだった。
 その中でも一番の目玉が「大縄跳び」だ。
 レクリエーション大会ではそれぞれの競技の成績が点数に変換される。その合計得点が多ければ勝ち、という単純明快なルールなのだが、その中でも大縄跳びは「跳んだ回数がそのまま点数になる」ということで全員が最も重要な競技として認識していた。
「せっかくだから、みんなで百回跳びたいね」
「それで優勝したいね」
 女子たちがわいわいと騒いでいるが、僕はそれを「無理だろうな」と思いながら聞いていた。なぜなら制限時間は二分。結構なペースでミスなく跳ぶというのは、体育が得意な面々ならともかく、僕のようなインドア派には厳しい話である。
 縄を回す担当を決めた後、僕たちはさっそく大縄跳びに取り掛かった。
 結論を言うと、僕たちは全然跳べなかった。三回か四回跳んだあたりで誰かが必ず引っかかってしまうのだ。その大半を一人の女子が占めていた。彼女の名前を僕は覚えていない。強烈な出来事の中心に座していたくせに、名前だけがすっぽり抜けてしまっている。僕はここで彼女のことを「ナキコ」と呼ぶことにしよう。ナキコはもともと体力がなかった。僕は彼女の体を見るたびにぎょっとしていた。決していやらしい意味ではなく、彼女のスカートから生えている、もやしのような脚がモンスターのようで不気味だったのだ。今でも僕はナキコの脚がトラウマで、有名モデルがほっそい手足をしているのを見ると軽い体調不良を覚えてしまう。
 一度や二度ひっかかった程度なら「ドンマイドンマイ!」と言っていた連中も、次第にナキコをうっとうしく思うようになっていた。ナキコ以外の子が引っかかったとき、逆に安堵感が満ちていたのはもはや異常といえるだろう。ナキコは頬を赤くしながら一生懸命跳んでいた。それは僕にもわかる。僕もインドア派の人間だ。休み時間はドッジボールより本を読んで過ごしたいタイプだ。だからナキコがナキコなりに大縄跳びに向かい合ってるのを見ていたたまれない気持ちになった。
 葉桜がゆれている。往生際悪く食らいついていた花びらがようやっと飛んでいく。
 僕たちはともかく焦っていた。他のクラスの縄担当が「二十八! 二十九!」と絶望的な数字を繰り出しているのが聞こえる。僕たちは再び跳んだ。二回でひっかかった。やらかしたのはもちろん、ナキコだ。
 絶望の二分間だった。僕たちの記録は四から伸びなかった。焦燥は他のクラスメイトにも伝染し、ついにはナキコ以外にも引っかかる奴が出てきた。僕もその一人だ。
 学年主任のホイッスルが鳴り響いたのはそのあたりのことだ。僕たちは呆然としながら、ほかのクラスが跳んでいる様子を眺めていた。数十人の脚が同じタイミングで地面から離れている。
「せっかくだから、みんなで百回飛びたいね」
「それで優勝したいね」
 そういって盛り上がっていた女子たちはみんな、道路に落ちている夏の蝉のように静かだった。
 縄を跳んだ回数を担任の先生が報告する。他のクラスの先生たちが二十八、十五、と申告する中、僕の担任の「四回」というしょぼい数字は、体育館でひどく浮いていた。そのあと隣のクラスの「四十五回」という大記録に対して拍手が沸き起こったとき、さすがの僕も少し惨めな気持ちになった。
「ねぇ、××ちゃん。どうして一生懸命やってくれないの」
 縄跳びが終わり、クラスは重い雰囲気になっていた。ナキコは顔を真っ赤にして叫んだ。
「一生懸命やってたよ! 手なんて抜いてない!」
「じゃあ、なんであんなにひっかかるの? おかしくない?」
 僕はナキコに対する糾弾を心ここにあらずの状態で聞いていた。僕はどちらかというと縄跳びに引っかかるタイプだった。実際に一度引っかかっている。あの時のみんなの目を僕は忘れられない。またかよ、とうんざりした顔を見せたクラスメイト達は、引っかかったのが僕であると分かると「ああ、仕方ないね」と言わんばかりに作り笑顔になったのだ。草原の花が一斉に花開くようにして、呆れた顔がにんまりとした微笑みになるのだ。恐怖以外の何物でもない。その奇跡的なタイミングがあるのなら大繩だって相当な数跳べそうなものなのだが、世の中そう都合よくはできていないようだ。
 結局、僕らはそのあとのリレーで善戦したものの、大縄跳びが足を引っ張った。どうにもならないものというのは世の中に意外とあるのだ。レクリエーション大会でビリになった僕たちは「でも、楽しかったね」と笑いあえるほど大人ではなかった。僕は胃の奥が変に縮み上がる感触を覚えながら、ナキコが静かに涙をこぼす様を視界の端でとらえていた。そんな彼女の背中を優しくなでて、励ます人間の存在に安堵していた。僕にも腕はついているのに、彼女に寄り添う勇気がなかったのだ。
 葉桜は静かに揺れている。来年のこの時期に、僕は「一年三組はいいクラスだったなぁ」と思い出を懐かしむことができるのだろうか。一瞬そんな考えを思い浮かべた僕に未来の僕から一言伝えるとしたら「その、ほろ苦い思い出だけが君の心の中に沈殿し続ける」と告げて、彼を絶望の底にたたきつけてしまうかもしれない。
 そうしてから慌てて付け足すのだ。「今年も桜はきれいだったよ」なんて。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)