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【短編小説】バカなウサギとかしこいキツネ

 トラに襲われ、今にも食べられそうになった若ウサギがいた。
「久しぶりのごちそうだ」とよだれをたらして喜ぶトラに、若ウサギはとっさに嘘をつくことにした。
 若ウサギは「よよよ」と泣いた。トラはもう辛抱溜まらずかぶりつきたい気持ちになったが、遊び心がむくむくと膨れるのを覚えた。若ウサギにとっては最期の会話だ。少しくらい情けをかけてもバチは当たらないだろう。
「ごちそうよ、そんなに泣くことはない。お前のうまい肉は俺様が余すところなく味わってやる」
「いいえ、僕は食べられることに嘆いているのではないんです」
「では何故泣いているのだ」
「トラという強くたくましい生き物のあなたが、今はやりの食事を知らないという事実がかわいそうで泣いているのです」
「動物の食事にはやりすたりもあるか」トラは己の好奇心に従ったことを悔いた。とっととこの野ウサギの息の根を止めてしまおうと牙をぎらつかせると、流石の若ウサギも震え上がった。
「トラ様、あなたは本当に『完全菜食』を知らないのですか」
「『完全菜食』? 初めて聞いたな」
 聞きなれない言葉に顔をしかめるトラに、若ウサギはここぞとばかりに完全菜食のメリットをまくしたてた。
「そもそもですね。動物が生きるのに必要な栄養素は、みんな植物から摂れるんですよ」
「そんなバカな話があるか」
「あるんですよ。だって、そうじゃなければウサギがこんなに増えるわけないじゃないですか。草より肉が優れているというのなら、我々ウサギだって肉を食っているでしょう?」
 確かに、とトラは若ウサギの適当な理論に納得し始めていた。しめた、と思った若ウサギは調子に乗って弁舌巧みにトラを騙していく。
「だとすれば、我々のような野ウサギを必死に追いかけて食らうより、その辺に生えている草を食べる方がはるかに楽だと思いませんか? 草を食べても肉を食べても同じなら、トラ様だって楽に草を食べる方が効率的ではありませんか?」
「だが、どうせ草は不味いんだろう。俺様は旨いものを食って生きていたいんだ」
「確かにお口に合わないかもしれません。ですが、物は試しという言葉もあるでしょう。試しにここの草を一口食べてごらんなさい」
「本当か? 不味かったらそのときはお前で口直しをしてやる」
 トラは草を一束ほど口に含み、噛み切ろうとしていた。が、肉を裂くのに向いているトラの牙では、繊維質な草を咀嚼するのにはかなり難儀であった。トラは首をかしげて、がちがちと言わせながら慣れない草をなんとか味わおうと試行錯誤を繰り返す。若ウサギはしめしめ、と思いながら、ぴょんぴょん跳ねてどこかへ行こうとした。
 だが、トラはなんとか草を噛みちぎり、咀嚼し、飲み込むことに成功した。逃亡のタイミングを逃した若ウサギは冷や汗を垂らしたが、彼の心中を察することなく、トラは満面の笑みで吠えた。
「ふむ、確かに思った以上に旨い!」
 若ウサギは跳ね上がった。
「それはそれは、何よりです」
 若ウサギが目を逸らすので、トラはわざわざ若ウサギの視線の先に移動しながらしゃべり続けた。
「食いちぎるのに難儀するとは思わなかったが、狩りとどちらが楽と聞かれたら草を食らう方が楽でいい」
「そうですか、それはそれは……」
「こりゃあ仲間にも知らせなければな、こんな食事を俺が独り占めするのはあまりにももったいない。感謝するぞ、ウサギ」
「お役に立てたようで、何よりです」
 ははは、と若ウサギは笑った。揚揚とした足取りで去っていったトラの後姿を見て、緊張が解けた若ウサギは腰を抜かした。
 若ウサギは、肉食動物の連中の間で本当に完全菜食が流行るなんて思わなかった。トラやキツネが延々と草や木の実を食ってるのを見て、仲間のウサギはみんな目を丸くしていた。しかし、どいつもこいつもこちらを食らおうとしないのを知って、ウサギたちは手をたたいて喜んだ。爪牙に襲われる心配がなくなった草食動物は順調に数を増やし、見事な繁栄を築いた。
 だが、その喜びもつかの間、今度は食料の草が著しく減ってしまった。餌を分けろと鳴いたところで、相手は肉食獣。いくら狩りを忘れた獣とはいえ、草食動物の力ではどうにもならない。眼前に迫る食糧危機への対策を講じなければ。草食動物たちは集まって何度も話し合いをした。しかし妙案が都合よく浮かぶわけもなく、すべて暗礁に乗り上げた。
 今日も何度目か分からない会合に集まった草食動物たちは、今度こそは食料危機をなんとかできるアイディアが浮かぶのではないかとそわそわしていた。しかし、若ウサギはもううんざりしていた。
 今日の会合にはキツネが姿を現していた。草食動物たちのリーダーを務めているリスが暗い顔をして、キツネに喋るよう促した。
 賢そうな顔をしたキツネはわざとらしい咳払いをして、朗々と語り始めた。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。本日の議題は勿論皆様ご存知の通り、食糧危機でございますね。わたくしとしてはなかなかによいアイディアを思いつきましたので、そのご紹介に……」
「前置きはいいからさっさと喋ってくれ」
 若ウサギがうんざりした様子で吐き捨てた。キツネはにこにこ笑いながら「これは失礼」と言って軽い謝罪を投げた。
「では簡潔に申し上げます。他の食事を選べばよいのです」
「他の食事?」
 若ウサギはキツネを鼻で笑った。
「草も木の実もないのに、どこにそんなものがあ――」
 若ウサギの悪態は続かなかった。キツネが彼の喉笛を噛みちぎっていたのだ。突然繰り広げられた殺戮に動物たちは悲鳴を上げたが、キツネは「落ち着いてください」と吠えた。
「そもそもですね。動物が生きるのに必要な栄養素は、みんな肉からも摂れるんですよ」
「そんなバカな話があるか?」
 小鳥が声を上げた。キツネは目を細めて笑うと、
「あるんですよ。だって、そうじゃなければ肉食の獣がこんなに増えるわけないじゃないですか。それに、草から栄養を摂っている草食動物に、草の栄養が含まれていないなんて話があるとお思いですか?」
 とのたまった。動物たちは息をひそめて、キツネの話を聞いている。
「だとすれば、存在しない草や木の実に思いを馳せるより、今目の前にある肉を……ウサギのみならず、鳥でもなんでも構いませんが、そういった肉を食うのが、現状においては効率的だと……そう、思いませんか?」
「だけど、お肉っておいしいの?」
 野ネズミが恐る恐る尋ねる。キツネはゆっくり頷きながらのネズミの問いに答えた。
「確かに、知らない食材を初めて口にするというのは、恐ろしいものがありますね。ですが、物は試しという言葉もあるでしょう。試しにこの肉を一口食べてごらんなさい」
 キツネは若ウサギの死体を示しながら告げた。
 野ネズミは、恐る恐るウサギの肉を口にした。肉の繊維をうまく噛み切ることができずやや難儀していたが、技術的な意味で食べられないということはなさそうであった。
 野ネズミはゆっくりと肉を咀嚼して、呟いた。
「……旨い」
 キツネが醜悪にほほ笑む先で、ネズミは一心不乱に肉に食らいついていた。草食動物たちはそれをまじまじと見つめていた。
 ――腹を食らわれている若ウサギの濁った瞳だけが、明後日の方を向いている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)