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【短編小説】名前がNから始まる、文鳥を飼っている女性

 A氏は趣味の小説をネットに公開している。ズボラだが推理の腕はピカイチの探偵・仁科進と、生真面目でさばさばしている探偵助手の女性・齋藤奈央のハードボイルド推理小説は大人気というほどではないがそこそこの反応をもらえている。誹謗中傷も特になく、穏やかな創作生活ができていた。はずだった。今日までは。
 一件目のコメントは苦情だった。
「読みました。終盤の仁科のセリフは失礼ではありませんか?『文鳥を飼っている、名前がNから始まる女性は人を傷つけることにためらいがないと相場が決まっている』……私も名前がNから始まって文鳥を飼育している女性ですが、こんな失礼な指摘をされるものだとは思わず、びっくりしました。修正した方がいいですよ」
 A氏は目を白黒させて、該当箇所を読み直した。「文鳥を飼っている、名前がNから始まる女性」というのは言うまでもなく登場人物の斎藤奈央のことだ。奈央は文鳥のぴーすけとコロネを飼っており、この二羽を溺愛する一方で、不真面目そうに仕事をする進にズケズケと物を言う。あのセリフの後、奈央が「それはアンタが仕事に対して不誠実だからでしょうが」と心の中でツッコミを入れるシーンもしっかり完備。進は「名前がNから始まる」とぼかしているが、それは奈央のことだと分かるはずなのだ。
 時折、小説というのは作家の独りよがりの文章になることがある。作家の頭の中にはキャラクターの設定がほぼすべて詰め込まれているので、それらを知っている前提で物語が紡がれるパターンだ。しかし肝心の読者はそれらの設定を知らないので、物語が読者を置いてけぼりにして進んでしまう。そうなると、本は閉じられ、ブラウザは遠慮なく「戻る」のボタンを選択され、とロクなことがない。しかし、……自分で言うのもどうかと思うが、これらのシーンはキチンと正しく記述されており、初めて読んだ人にとっても問題なく理解できるようになっている。と思う。
 しかし、二件目のコメントも苦情だった。
「いつも素敵なお話ありがとうございます。大変楽しんで読んでいたのですが、『名前がNから始まる、文鳥を飼育している女性』に対してすさまじい差別意識を抱いてることに悲しみを覚えました。私も文鳥を五羽飼育しており、名前がNから始まります。作品を消せとは言わないので、どうかこの箇所を訂正していただけないでしょうか? あなたの人となりが疑われますよ」
 三件目のコメントも同じようなものだった。
「はぁー。文鳥を飼ってて名前がNから始まる女は暴力ババアですかぁ、そうですかー」
 いや、もう、何件目というのは関係ない。どのコメントも似たようなものだ。
「作者は文鳥を飼っていて名前がNから始まる女に親でも殺されたのかな?」
「なにこれ!? 文鳥を飼ってて名前がNから始まる女ってだけでそんな凶暴ってレッテルを貼られるのは納得いきません! 削除してください! この差別主義者!」
「私も名前Nから始まるし文鳥飼ってるから暴言吐こうかな。クソ小説消えろ!」
 いよいよA氏がパニックになったとき、スマートフォンが鳴った。友人のO氏からだった。
「Hから聞いたんだけど、お前炎上してるんだって?」
 HはA氏の小説の大ファンで、ことあるごとに感想をくれるいいヤツだった。今回もコメントを書こうとしたらコメント欄がご覧のありさまだったので、なんとかならんかとO氏に相談を持ち掛けたらしい。
「俺も読んでみたんだけど、何も問題ないと思うぜ」
「でも、炎上してるのは事実だ。俺はどうすればいい?」
「こういう時は手っ取り早く謝罪して鎮火だ。誠心誠意謝って、事情を説明して該当箇所は修正すればいい」
 O氏は笑いながらそんなことを言った。A氏はクレーマーに膝を屈するようで納得がいかなかったが、仕方がないので謝罪文を公開した。

 先日公開した『探偵シリーズ』の最新話『カナリヤの歌が聞こえる』にて、『文鳥を飼っている、名前がNから始まる女性は人を傷つけることにためらいがないと相場が決まっている』という仁科のセリフに対して様々なご意見を頂いております。
 こちらは『名前がNから始まる、文鳥を飼育している女性』に対する風評被害ではなく、作中に登場する仁科の助手・奈央に対する皮肉でございます。ですが、コメント欄には百を超えるご意見が、それも大半が『名前がNから始まる、文鳥を飼育している女性』によるものが届いております。
 色々検討した結果、該当箇所の差し替えと謝罪文を掲載する運びになりました。この度は私の軽率な行動により多くの人々に不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。

 該当箇所は『文鳥を飼っている、苗字がSから始まる女性は人を傷つけることにためらいがないと相場が決まっている』としました。


っげーよ!」
 謝罪文を読んだO氏は即座にA氏に電話をかけて、開口一番怒鳴った。
「問題はそこじゃないんだよ、NをSに直してどうすんだ!」
「名前、の部分も苗字にしたぞ」
「名前とペットの種類だけで『人を傷つけることにためらいがない』っていうレッテルをはっつけてるところに怒ってるんだよ、コメント欄の連中は!」
 O氏は頭をガシガシとかきむしり、A氏の小説ページを見た。こういう炎上は謝罪をひとつ間違えるだけで火に油どころの騒ぎではなくなる。住所、本名、勤務先の特定が始まるのでは……と不安がったそのとき、Aがとんでもないことを言った。
「でも鎮火したぞ」
「……は?」
 あんまりにもマヌケな声が、O氏の口からこぼれた。しかし、A氏は気にすることなく続けた。
「誹謗中傷のコメントもぴたりとやんだし、謝罪も特に問題があったような風にはなっていない。それどころか『分かっていただけたようで何よりです』ってご満悦だったんだけど……これってどういうことなんだろうな」
 O氏はしばし黙り込んだ。A氏は答えを待っている。しばらくの沈黙の後、O氏は観念したようにして口を開いた。
「『文鳥を飼っている、名前がNから始まる女性は人を傷つけることにためらいがない』というのは、この世界の真理だったみたいだな」
 そして、ため息をついた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)