見出し画像

【短編小説】消耗品費

 推しの不祥事に嘆くのは時間と労力の無駄である。
 週刊誌に収まりきらず、ついに新聞にも「人気アイドル ファンに暴力」なんて書かれた時点で、私はその推しを推すのをやめる。品行方正。さわやかイケメン。私の好きな推しはそういった属性のキャラであって、ファンに暴力をふるう推しはもはや推しではないのである。
 アニメや漫画だってそう。作品自体が打ち切りになったり、作中で「男だと思われていたけど、実は女の子でした」なんてやられた時点で「私の推し」失格である。呆れるくらいに集めていたグッズは一気に燃えるゴミになる。それを何度も繰り返す。中にはグッズが出ない推しもいたが、そういった推しはクビになるのも割と早い。アホなライターが推しの設定を忘れてけろっとキャラ崩壊シナリオをお出ししてくるからだ。この場合、推しに罪はない。だが、ライターに忘れられてしまうくらいに出番をもらえなかった推しの努力不足と考えれば因果応報ともいえる。
 部屋のポスターは年に何度も変わる。私は一点集中で物事にはまり、飽きれば二度と振り返ることはない。卒業アルバムを見たときに「あ、なつかしい」なんてぽつりと呟くようにして、元・推しとの思い出を振り返ることはあれど、あの情熱が再燃することはない。燃え上がるようなハマり方だから、考えうる限りすべてのグッズを大量にそろえる。が、失格の烙印を押した瞬間にそれらはすべてゴミとなる。次のゴミの日には部屋から追い出される。
 だから「××クンのことは大好きなんだけど、だからこそ今の状況が耐えられない」などと嘆くファンは「効率が悪いなぁ」なんて思う。
 テレビをつける。ワイドショーは元・推しの不祥事に色めきあっていた。番組出演者が、「いやぁ、まさかねぇ」「ファンも随分と過激だったようです」「でも暴力はよくないですね」と小学生でも思いつくような感想を並べていく。噂好きな主婦たちがちょっと知恵をつけたレベルだ。
 そんな矢先にスマホが震えた。友人Nからの連絡だ。

「にゅーすみてる」
「つらい」
「はきそう」

 彼女も、今回不祥事を引き起こしたアイドルのファンだ。私と見事推しかぶりしていると知った彼女は、まるで私を古くからの親友であるかのようにして扱った。私は彼女のことを全く知らない。好きな食べ物も嫌いな色も。ただ同じアイドルを好きでいるだけだ。それだけなのに彼女は私とすべての波長が合うと言わんばかりの接し方をしてくる。彼女のそういうところはよく分からなかった。
 さて、メッセージに既読をつけてしまった以上返事をしたためる必要がある。国語の時間を思い出す。こういうとき、なんと声をかけてあげればいいでしょうか。小学一年生の頃なら模範解答を書くのに苦労はしなかった。今は? どうだろう。正しく書けるだろうか。
「私もつらい」
 迷った。彼女に寄り添うことは簡単にできるが、残念ながら私は別につらくもなんともない。推しが泣きはらした目で記者会見に臨んだところを見ても心は凪いだままだ。
「でも仕方ないよね」
 迷った末、個人的にはあたりさわりのない返事を書いた。推しがファンに暴力をふるった。それも二十代の女性をホテルに連れ込んでの犯行だった。プレイの一環だったのか喧嘩の果てのことなのかは報道されていない。あちらこちらで立ち上る憶測の煙を少しずつ集めて分かったのは「私の元・推しが、二十代の女性をホテルに連れ込んで暴力をふるった」ことだけだ。
「リカは平気なの?」
「うん。今回の件で一気に冷めちゃったから」
 私の悪癖(と、別の友人は言った)をNは知らない。推しが自分の理想とかけ離れたことをしてしまった時点で推し失格の烙印を押す。そんな私の悪癖(と、別の友人は言った)をNは知らない。だからできるだけ穏やかに私は自分の心境を送信した。しばしの間があった。先ほどまで神妙に私の元・推しの不祥事についてあれやこれやと語っていたアナウンサーが、「さて、お次は旬のスイーツの話題です!」と声を明るくした。ようやっとあの話題から離れられるという喜びが私の目に見えた。スマートフォンが鳴らない。CMに入った。聞き飽きた流行りの歌に合わせて踊るのは引退したスポーツ選手だ。
 ぽん、と音が鳴る。私はスマホを見た。Nからの返事がある。
「薄情だね」
 私は頭の中で「薄情」の意味を考えた。言葉の意味は分かるが、Nがこの言葉を私に送信した理由は分からなかった。薄情。薄情? 推しが直接私に助けを求めにきたわけでもないのに何が薄情なのだろうか。いちいち泣いてりゃいいのだろうか。それとも他のメンバーの心情についてあれこれ想像して、解釈というヘドロをツイッターにでもたれ流せばいいのだろうか。
 既読のマークがついてしまったが、私は返事をしなかった。自分を正しいとは思わないが、間違っているとも思わなかった。スカイツリーの映像が映る。もしも私がまだ元・推しを好きでいたのなら、ライブ講演で東京に行く機会もあっただろう。だが、私はもう彼を推していない。東京に行く予定はない。遠い土地のスイーツがこれだけおいしいですよと語られたところで私の世界には関係がない。
 テレビを消すと、スマホの通知音が聞こえる。私はあるタレントのことを思い出した。彼はファンのことを「金づる」と呼んで炎上した。何かのファンを金づるというのなら、私たちが何か遠いもの――アイドルやアニメの声優、漫画の作者にゲームのキャラ――を消耗品のようにして扱うのも同時に成立する。私にとって推しは消耗品で、推し活の費用は消耗品費だ。所詮それだけのこと。
 もう一度テレビをつけると、先ほどまで元・推しを非難していたタレントたちがよく分からない洒落た菓子に舌鼓を打っている。世の中もこういうものだ。ただ、もう少し時間の流れが緩やかなだけで。現にスマホはおとなしくなった。Nからの連絡は二度と来なかった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)