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【短編小説】受験生と悪魔の賭博

 玄関のチャイムが鳴った。A氏が素直にドアを開けると、お高そうなスーツを身に纏った青年紳士が微笑んでいる。
 A氏は困惑した。見覚えのない人だったからだ。思わず「あのぅ、どちら様ですか?」と尋ねると、青年は笑みを崩すことなく告げた。
「わたくし、悪魔と申します」
 A氏は、一瞬自分が耳をおかしくしたのかと思ったが、青年が差し出した名刺には、

 株式会社 死神
 魂魄回収課 悪魔

 と記載されている。
「人間の皆様は、我々の名を聞き取れないのです。故に、便宜上『悪魔』と名乗らせて頂いております」
 A氏は「はぁ……」と呟くのがやっとであったが、すぐに気を取り直して「立ち話も難ですから……」と悪魔を家に上げようとした。すると悪魔はクツクツと笑い始めた。
「いいんですか? 悪魔を家に上げるなんて! お気になさらず、すぐに終わりますから!」
 悪魔は一枚の写真を手渡した。A氏はすぐに「Nさん!?」と言った。
「おや、ご存じでしたか」
「あ、はい……仕事の同僚でした。先日心臓発作で亡くなっ……」
 そこまで言いかけて、A氏の喉はヒュッと鳴った。心なしか風が冷たい。顔から血の気が引く感触を覚えたタイミングで、目の前の悪魔は慌てて手を振った。
「誤解です、誤解です! わたくしはあなたを殺しに来たわけではなくてですね! このお写真の方について伺いたいのですよ!」
「本当、ですか……?」
「はい! 本当です! 悪魔は嘘をつきませんから!」
 A氏はまだ半信半疑といった様子であったが、「それで、何を聞きたいのですか……?」と問いかけた。
「ここだけの話、Nさんはですね……我々との賭けにあなたを利用していたのですよ」
「賭け……ですか?」
 うんうん、と頷いて悪魔は微笑んだ。随分と胡散臭い表情だった。
「あなたが今年の三月に受けた試験がありますでしょう? その難関試験に合格するかしないかで賭けをした結果……あなたが合格する方に賭けたNさんは負けてしまったのですよ。それで正規の手段で魂を回収したのですが……天界のれんちゅ――ではなくて、皆様方? が、『それはあんまりだから、もしも地上に居る彼の知り合いが、彼のことを呼び戻してほしいというのならば魂を返さねばならない』と難癖――ではなくて、命令? をしてきましてね、ですからあなたに……」
「ははあ、なるほど」
 A氏は頭をかいた。なるほど。
 ――通りで「ただの同僚のN」が、自分に対してやたら辛く当たっていたわけだ。
 A氏にとってその試験は趣味の延長線上であったが、合格率がよくて十数パーセント、悪いときには五パーセント近くになる難関試験。相当苦しめられたのは事実であり、多くの知り合いは「がんばれ!」と声をかけてくれた。
 その例外がN氏だった。彼はA氏に「努力が足りない」「いい加減合格うかれよ」「失敗した自分をヨシヨシしてもらうのは楽しいか?」「周りに甘えてばっかりだな」とやたら突っかかってきた。
 この試験はA氏の趣味で、仕事には何ら影響しない。A氏が不合格をつきつけられたところで、N氏にはなにも影響がなかったはずだ。だというのに会社で顔を合わせる度、N氏はA氏にひどい言葉を投げ続けた。A氏はN氏の言葉をある程度流していたものの、だんだん食欲の低下や耳鳴りに悩まされるようになっていた。その年の試験をなんとかこなして、合格発表があったのは今年の五月のことである。
 N氏が死んだのも五月であった。合格発表の直後のことだったからよく覚えている。
「あ、この答えはあなたの裁定には響きませんのでご安心下さい。この質問になんと答えたとしても、貴方が天国に行くとか、地獄に行くとか、そこにはなんら関係しません。それで、AさんはNさんのこと、どう思いますか? 戻ってきてほしいと、思いますか?」
 A氏は息を吐いた。
「思いません」と彼が答えた瞬間、「やっぱり」と言わんばかりに悪魔は口元を歪めた。
「あなたとの賭けに負けたのはNの自業自得で……私には関係ありません。それに……私は今でも、彼にかけられた言葉を忘れられない……悪い意味で……。あいつが今どこにいるのか分かりませんけれど、おそらく良いところにはいないのでしょう? だったらそれが相応しいと思います……」
「そうですか、そうですか! いやはやありがとうございました! それでは――」
「あ、待って下さい」
 A氏は去ろうとする悪魔を呼び止めた。
「ただ、あの……私、今年の試験で無事に合格したんです」
 A氏はアパートの中を少しだけ悪魔に指し示した。額に入った合格証が壁に飾られている。きちんとA氏の名前と資格試験の主催組織の代表者の名前が書かれているので、捏造したものではない。正真正銘の本物だった。
「Nは私が合格する方に賭けたんですよね? でしたら、どうして死んだのですか」
 悪魔は声を上げて笑った。

「いやぁ。あなたは確かに合格しましたが、悪魔の界隈において難関試験というのは『合格率一桁パーセントの試験』のことを言うんです。あなたが合格したときの合格率は一〇.一パーセントで、惜しくも『難関』試験には合格した、とは言えなかったので……」


 

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)