見出し画像

【短編小説】ふさわしくなかった

 誰だって美人になれるという化粧品の謳い文句は嘘ではなかった。外見で物事を判断する男たちを適当にあしらうようになってから早五年。そんなN子にも交際相手なんてものができた。彼の名前はS男という。S男はおしゃれ好きなイケメンで、常にN子に優しくしてくれる。N子はS男との交際を楽しんでいたが、同時に不安を覚えていた。
「もしも化粧をしていない私を見たら、S男さんはどんな反応をするのだろう」
 ホテルの浴室でN子は改めて自分の顔を見た。不細工な顔。N子はため息をついて風呂を出て、体をふいた。そして化粧を始めた。リップとチーク。もう少しで買い替えなければならない。が――。
(ううん、これで最後。いい加減S男さんに本当の自分を見てもらわなきゃ。S男さんは優しい人。私の内面を見てくれた人。化粧美人だって知っても私を裏切ることはないわ)
 N子はマスカラをまつ毛に塗りたくりながら、そんなことを考えた。
 体にバスタオルを巻いて、N子はS男が待つベッドへ戻った。下着一枚のS男はにっこりと笑ってN子を迎えたが、当のN子は驚愕に足を止めてしまった。
 なぜならベッドに腰かけているS男は、いや、これがS男なのか判断がつかない。N子は半ばパニックになっていた。有名俳優に似ていた相貌はもはやその名残すらなく、平均以下の見た目となっていた。
「驚かせてごめんね」
 声はS男だった。
「俺、自分の外見に自信がなくて……ずっと化粧でごまかしていたんだ」
 だとしたらすごい技術だな、とN子は見当違いのことを思った。
「いつも見た目で判断してくる女性ばっかりだった中、N子さんはいつも俺に優しくしてくれて……。いつも、俺の内面を見てくれた」
 S男は、照れくさそうに頭をかいた。
「だから、きっと本当の俺でも……拒絶せずに受け入れてくれると思ったんだ」
 
 気が付くと、N子は走り出していた。半乾きの髪を振り乱し、雑な服装で走り出していた。ウォータープルーフの化粧は決して剥がれ落ちていない。だが、鬼気迫る勢いで駆けていく美女に鼻の下を伸ばすものはいない。N子はアパートの階段を駆け上がり、玄関の扉を開けると同時に倒れこむ。もつれた足をなんとかほどいて自室に這いつくばり、カバンの中からいつもの化粧道具を出した。
 N子は泣きながら、泣きながら化粧道具をゴミ箱に捨てた。そしていよいよ大声で泣き始めた。隣の部屋からドン、という鈍い音がしたが、N子はそれに逆らうようにわあわあ泣いた。S男から心配のLINEが届くが、N子は「ごめんなさい」と一言返した。私はふさわしくなかった、あなたにふさわしくなかった。私はあなたに信頼を求めていたのに、私はあなたの信頼を裏切った。
 玄関の扉が乱暴に叩かれる。うるさいぞヒステリック女! という暴言が聞こえる。N子はいよいよ何もかもがどうでもよくなった。体を起こして鏡を覗くと、マスカラがグロテスクに溶けている。いくらウォータープルーフといえど、女の号泣には耐えられなかったらしい。だがこれでいいのだとN子は思った。今、この、ドロドロに溶けたまつ毛を頬に垂らす怪物こそが、自分の真の姿なのだから。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)