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札幌の恩師。ふたたび。

行方不明(?)だった札幌の恩師は「東京に帰っていて、忙しくてアナタに手紙書く暇がなかったわ。ごめんなさい。」と話していた。入院もしてたんだけど天国行くには早くてね、とブラックジョークも忘れない。

しかも、81歳の恩師が急にラインを始めて、私に返事を送り日々の雑感を送ってくれている。しかも、youtubeでこういうの見ましたよ、とか軽々SNSやネットを使いこなしているのは驚く。うちの母と1歳しか変わらないのである。

一方、母は戦中派で「大根をかじった、主食は芋。」という教科書の記述に怒り口調であった。「芋なんてね、あるだけましなんだよ。ないときはどうするの?」「薪拾い、馬糞拾い、ニシン拾い。」という生活と現代に重なる部分はほとんどない。「あんたはさ、ニワトリにえさやって、水くんできて、弟妹たちの面倒見て、って生活じゃないでしょ?お湯沸かすのは北海道ガスじゃなくてカマドなんだよ。」 現代の生活がいいよ、あんな昔には戻りたくはない!といいたげであった。

しかも、子供の時分にいかめしい顔の兵隊さんがやって来て「国家非常時のため、金属を供出せよ。」とクギから何から、みなみな持って行った。果ては仏壇にある打ち金までも無くなったという。母は仕方なく「柏手を打ち」先祖に祈ったらしい。ある意味、気丈である。「あれだけ持って行ったわりにはね、特攻機はベニヤ板だったんだ。」と母はいっていた。悪罵にもほどがある。

まあ母と先生の生活基盤や職業文化が違いすぎるので、年代というくくりのなかで比較はできない。「メールってなんなんだい?メルモちゃんかい?」というのんびりとした母。講演活動やら教育やらで日々考えることを日英両語で情報収集、発信していた先生。そして発信は初めての母にはSNS自体が面倒らしい。先生は発信媒体が変わったが発信する行為は日常のままである。生来バイリンガルな先生は生活レベルで接する言語空間自体が違う。

一連のこのコロナ騒ぎで一度にいろんな垣根がぶっ壊れた。あらゆる決まりごとのウソが露呈したようだ。バイリンガルとかそうでないとか戦中派とか戦後派とか人種国籍とかそういうシステムやキーワードが一体何のためにあったのだろう?

そういうことを考え直す機会が自粛期間内にあったならそれはそれでよかったと思う。自分自身、自粛の効果をまるで信じてはいない。が、とりあえず先生が無事で、母が相変わらず明るいわがままぶりを発揮しているらしいことを弟から聞いてどこか安心した。

アベノマスクという茶色いマスクはありがたい。どこか犬の生理用品みたいだが自分はマスクに使う。そして友人知人たちとも再会してみたいと考えている。仕組まれたウソはいつかばれるだろうし、あまりあわてる必要はない。パンデミックという事業はワクチン配布というステップをたどるだろうが、いちいち騒ぐのはどうかしている。

これはプラスに考えて明日を行くほかはない。私もあなたも生きている。生きること。そのための情報をシェアすること。それ以外に生きるという理由があるだろうか。先生も母も明るく生きてきた。そのための情報をわれわれは孫や次代に伝える。それだけだ。


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