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サンドバッグおじさん

サンドバックおじさんをご存知だろうか?

サンドバックおじさんとは弱みを見せたがばかりに女々しい棒でボコボコにされるおじさんのことだ。彼らは職場や家庭での不遇に苦しみ、軽い気持ちでその愚痴をSNSに投稿したことがきっかけでどこからか大挙してきた”女々しい棒”を持った集団にリンチを受けることになる。X(ツイッター)にも夫婦の諍いや育児の不満を投稿してしまったばかりに『女々しい男め!SNSでコソコソ愚痴るな!』とサンドバッグにされてしまう男性が後を絶たない。

悲しいかな何者でもないおじさん(30代以上)は社会でもSNSでも人気がない。若いうちであれば男性でも愛嬌や可愛げを武器に人気者になれる場合もあるが、中年になって以降もそれを売りにして、かまってもらったり忖度してもらうのは至難の業である。薄毛白髪交じり、腹も出て来てシワも増えてきたおじさんに需要は皆無だ。ネコミームは流行ってもおぢミームは流行らない。おそらく若い女性のほとんどはおっさんと同じ扱いを受ければ辛くて逃げ出したくなるはずだ。あらゆる弱者への差別が禁止された美しいポリティカルコネクトレス社会で、唯一残された良心を咎めずにボコボコにできる不人気エネミーが中年男性なのである。

残念ながら男女平等が叫ばれる令和日本でも、おじさんは肩書やメンツがないと世間から一人前と認めてもらえない。愚痴っぽくてすぐ拗ねるメンヘラおじさんを社会は包摂してくれないのだ。リベラリストは気軽なトーンで”男らしさから下りて自由に弱音を吐こう!”なんてスピーチしてくるが、それを真に受けて男らしさから下りた弱々おじさんを受け入れてくれる場所はどこにもない。

SNSには好きなだけ殴れるサンドバックを探しているヤベェ奴らが溢れている。彼らは日ごろを憂さを弱者を殴って晴らしたいと願っているが、加害者として自分が殴られることは避けたいと考えている。そのため、殴ってもお咎めを受けないタイプの弱者が現れるのを常に待っているのだ。

昭和以前はいわれのない差別を受ける属性の人々が社会に多くいたが、非暴力とポリティカルコネクトレスの浸透によって暴力や差別は除去され平和な世界が訪れた。しかし社会は制度や法律でいくらでも綺麗に設計できるが、その社会で生きる人間は残念ながらクリーンな人ばかりではない。以前は非差別階級を公然と殴っていた凶暴な人間たちが殴れる対象を失ってSNSを徘徊いているのだ。獲物を狙うヤベェ奴らからすれば、弱音を吐いている中年男性は格好の獲物である。SNSでおぢが不満を言うのは避けるべきだ。


男は歳を重ねるごとに男性のロールを全うすることを求められる。中年男性は仕事を黙々とこなして稼ぎを得て、父親になって子育てして、部下や後輩の面倒をみて、ようやく社会に年相応の大人だと認められるのだ。40代のおっさんが突然『本当の自分を見つけたいので仕事を辞めて大学に入りなおしたい』と言い出したら、多くの場合は周囲の人間に「いい歳をして馬鹿なことを言うな」と咎められるだろう。自分探しは若者と女性の特権であり、中年男性に求められているのは自分探しではなく周囲に求められる役割をこなすことなのだ。愚痴を言ってヘラっている時間は中年男性にはないのである。世のおじさんたちもそのことは重々理解しているからこそ、みな毎日朝から夜まで働き家族を養っているのだ。

しかし人生は厳しい。日々中年男性のロールをこなす男たちもたまには愚痴りたくなる日もあるだろう。あまりに強者性をアピールすることに固執してしまうと、いくら打たれ強く育ったおじさんたちでも心を病んでしまう。どれだけ強い肩書を持つ強者男性でも、上手くガス抜きをしながら日々の生活を送っているからこそパンクせずにいられるのだ。

SNSなどの公の場で愚痴を言って共感して貰えるのは若い女性や子供だけの特権である。おじさんが愚痴を吐きたくなったときは話す相手や場所、内容に気をつけなければいけないのだ。おじさんの愚痴にはコンプライアンスが求められるのだ。SNSで愚痴を言わないこと以外にもおぢが絶対にしてはいけないことがある。その一つが……

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