見出し画像

金持ちと貧乏人はなぜわかり合えないのか?

結論から書こう。実家は太い方がいい。太ければ太いほどいい。何度もでも言おう。太い実家は何ものにも勝る才能、素質、財産だ。

金融資産を持ち株式投資の知識を持った親、不動産を多く所有する親、五大商社などに勤める高学歴ハイスペックな親、弁護士や医者といった高年収かつ法律や医療の知識を持つ親、会社を経営する社長の親……

優れた親と一族に囲まれて育つことは、身長の高さやルックスの良さ、自頭の良さといった生まれつきの遺伝的素質以上に、その人の人生の幸福度に直結する。

富裕層の子供ほど親の金と人脈、教育の力でつつがなく幸せな人生を送る。社会では豊かな家に生まれたにもかかわらず、犯罪行為には走ったり人間関係、ビジネスで失敗して没落する富裕層の不幸物語が大好きであるが、それらは大量に存在するお金持ちの中の極々わずかな、誤差程度の失敗例をクローズアップして騒いでいるに過ぎない。

富裕層ほどそれぞれが持つ強みを共有し合い、一族が安全に戦いに勝っていくための堅牢な城を築城している。彼らは何世代もかけて勝利に向けた必勝法を積み上げ、その情報をみなで共有する。

それに対し、貧しい家に生まれた人間の人生は異なる。貧困な家庭ほど何世代もかけて積んで来た知識、資産を彼らは所有していない。彼らの人生は水面に浮かぶ泡のようなものだ。浮かんでは消えていく。そこに富裕層のような蓄積は存在しない。あるとすれば人生にとって毒となる誤った知識や思想ぐらいだ。

富裕層と貧困層を断絶する溝は深い。人生の様々な箇所で分断され、お互いが遠い場所から相手のことを想像するしかない。SNSは富裕層と貧困層をスマートフォン越しに引き合わせたが、それは目と耳でお互いの存在を認知し合うところまでにとどまっている。崖を越えて彼らが手を取り合う機会は今もほとんどない。

富裕層と貧困層の断絶は格差とも言い換えることができる。目に見えた資産格差以外に、彼らを隔てる巨大な断層が5つ存在する。

1つ目の断層が『体験格差』だ。

それなりに恵まれた太い実家に産まれた人間には想像できないだろうが、貧しい家で育った人間は旅行経験やレジャー経験がほとんどない。海外旅行はもちろん、北海道や沖縄といった遠方への国内旅行、カヌーやスキーなどのレジャー、それらを家族ぐるみで体験するにはお金がかかる。

あまり金銭的に余裕のない家庭の旅行経験のほとんどは、産まれた地域から電車や車で行ける距離にある、お金のかからない海や山、観光地に限られる。さらに貧しい家になれば、そもそも家族旅行という概念がない。

学校行事に消極的な人間は修学旅行などを否定しがちだが、修学旅行で初めて本土以外の都道府県に行く経験ができた人間も多い。修学旅行は育ちによる体験格差を埋めるのに重要な役割を担っているのだ。

2つ目が『習慣格差』だ。

早寝早起き、三食しっかり食べる、日々の運動、毎日歯を磨き定期的に歯科検診を受ける、体調を崩したらきちんと医療を受ける、遅刻しない、相手の目を見てきちんと挨拶する、自分で必要な情報についてネットや書籍や人から学ぶ、お金を貯蓄し資産を作る。健康で幸せに生きるためにすべき習慣を親や周囲の環境から富裕層ほど学んでいくが、貧困層ほど正しい習慣を身につける機会に恵まれない。

『心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる』という有名な格言があるが、幼少期からの生活で心と行動が形づくられ、そこから生まれるのが習慣だ。貧困層ほど負の習慣を知らず知らずのうちに身につけてしまい、それが人生の足枷になってしまう。

3つ目が『文化的格差』だ。

貧困層は富裕層に比べて人生の役に立ったり、人生に彩りを与える知識、文化に関する知見の量が絶対的に少ない。税金、法律、投資、医療、人間関係、勉学、サブカルチャー、スポーツ、エンタメ、音楽、芸術、政治。

様々な分野において、生まれついての富裕層ほど豊富な知識を持っている。ネットでは無職にも素質があることが度々語られるが、皮肉なことに、富裕層に産まれた人間ほど、お金をかけずとも人生を楽しむための方法を熟知しているのである

実は貧困層ほど無限の時間を消化しなければならない無職は向いていないのだ。学歴などの目に見える学力格差だけではなく、数字や肩書には現れないところでも教養格差は存在している。

4つ目が……

ここから先は

792字

¥ 250

この記事が参加している募集

サポート頂けるとnote更新の励みになります!いつもサポートしてくださっている皆様には大変感謝しています。頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします!