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実は凄いゆとり世代

バブル崩壊の炎で焼き払われたロスジェネ世代と、IT革命とスマートフォン、SNSの普及で完全に新人類として独自の価値観を構築するZ世代、何かとアクの強い両世代に挟まれてひっそりと存在する世代がある。それが”ゆとり世代”である。

ゆとり世代の名前の由来となったのが、文部科学省が当時打ち出した”ゆとり教育”という教育方針によるものである。ゆとり教育とは『生きる力をスローガンにして学校週5日制の完全実施、算数・数学を中心にした授業時間数や授業内容の大幅削減、総合的な学習の時間の導入などを柱とするもの』であった。それまでの詰め込み教育をやめて文字通り”ゆとり”のある公教育を目指そうといった試みであったらしい。しかし実際には授業時間のゆとりを失った学校が教科書の内容を飛ばさざるを得なくなったり、円周率を3.14ではなく3にするべきか否かという内容で無駄な議論を巻き起こすなど、燦々たる結果となりゆとり教育は数年で廃止となった。その被害を受けたのが当時学生であったゆとり世代というわけである。

ゆとり世代の受難は学生時代のゆとり教育だけではない。ゆとり笑と揶揄された学生時代を終え、ようやく就職するぞというタイミングで襲ってきたのが、世界規模の大不況リーマンショックである。リーマンショック時の有効求人倍率の急落はバブル崩壊直後に匹敵するレベルの大惨事であった。2007年から2012年あたりまで続いた大不況に運悪く就職時期がバッティングしてしまったゆとり世代の後輩は、希望した業界すべてに落ちてしまい途方に暮れていた。

天職Hacks:リーマンショック直後の有効求人倍率の低さはロスジェネ世代を凌ぐ

そして長いリーマンショックがやっと終わったところで、次に襲い掛かったのが東日本大震災だ。ゆとり世代が社会に出た10代後半から20代前半の日本は、ロスジェネ世代と同様に過酷な時代であったのだ。

そんな過酷な時代を生き抜いてきたゆとり世代に対する筆者の印象はすこぶる良い。なぜならゆとり世代は価値観の幅が広く、文字通り考え方に”ゆとり”があるからだ。

自己責任の嵐に晒されすっかりこじらせてしまった人間の多いロスジェネ世代や、何をするにもコスパとロジックを優先したがる抜け目ないZ世代と違い、ゆとり世代は過度な自己責任論で他者を責め立てることもしないし、多少の非効率や理不尽に対していちいち眉をひそめるようなこともしない。新年会や忘年会などの節目となる会社の行事にはきっちり参加、しかしそれを後輩たちに強要するわけでもない。柔軟な対応力とコミュニケーション能力をゆとり世代は持っている。

ゆとり世代はZ世代のようなロジカルさやを持ちつつも、ロスジェネ世代の根性論や上下関係にも理解のある絶妙のバランス感覚を持っているのである。その特徴を活かして、組織の中で何かと衝突しがちな頭の硬いロスジェネジジイと生意気な若造Z世代の間に入り上手く仲を取り持っている、そんな印象をゆとり世代に抱いている。組織の潤滑油としてゆとり世代は組織に必須である。

女性に大人気の男らしさ2.0を体現する男子や理解のある彼くんもゆとり世代が一番多い。女性に対しても平等で対等な関係を求める男らしさ3.0をインストールしたドライなZ世代男子と違い、ゆとり世代の男子は女性によく言えば優しい、悪く言えば甘いことが多い。

そしてもう一つゆとり世代の特徴なのが、ニヒリズムと諦観の価値観である。ゆとり世代は親世代が好景気の時代を生きていた年代であるため、金銭的には困窮していた人は少なかった。しかし日本社会そのものを見るとバブル崩壊から若干のITバブルはあったものの、その後はリーマンショックによる大不況や東日本大震災など、ただただ下り坂を転げ落ちていく日本を見ながら育った世代である。自分たちの努力ではどうしようもない日本の転落を見続けたことで、ゆとり世代は自己責任論とは真逆の”なるようにしかならない”というニヒリズムを内包するようになったのではないだろうか?強いニヒリズムと諦観のにおいはゆとり世代(正確にはゆとり教育導入直前)の言論人であり、高齢者の集団自決発言で話題となっている成田悠輔氏からも強く感じることができる。

また平成の時代は「自分の内面と向き合う」ことを推奨された時代でもあった。本当の自分探しというやつである。社会に適合した人間にいかに自分をカスタマイズできるかに腐心するZ世代からみれば笑ってしまうだろうが、当時はロスジェネ世代もゆとり世代も、真面目に自分探しをやっていた時代であった。

下降線を辿り続ける日本経済を見ながら自分のしたいこと、内面に向き合ってきたゆとり世代は、どうしようもないことが多すぎる世の中、人生をひまつぶしだと思って楽しんでしまおう、という消極的ニヒリズムを持つようになっていったと筆者は考えている。

自分の力で人生を切り開いていく、努力で何とかしようとする姿勢ではZ世代のほうがロスジェネ世代に近い意識を持っている。ベクトルや方法論に違いはあれど、”成功した人生”や”社会的に意義がある人生”を求めるロスジェネ世代やZ世代と違い、ゆとり世代はどこか冷めた諦観の目をもって成功する人生、意味のある人生、というものを俯瞰してみれているのではないだろうか?

そんな柔軟な能力と世代的価値観も持ったゆとり世代は、実は今後の日本のキーパーソンになる世代ではないかと筆者は考えている。

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