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能力主義と自己責任論

本日はこちらの記事。

「正義」に関する研究・講義でお馴染みのマイケル・サンデル氏のインタビュー記事。

大統領選挙に関する話はさておき、「メリトクラシー(能力主義)」がもたらした社会の変化に関する話が面白かったので取り上げようと思います。


能力主義と格差拡大

サンデル氏は現状の社会についてこのように語っています。

サンデルに言わせると、革新派の政治家がグローバル化に対応するにあたってメリトクラシー(能力主義)の文化を持ち上げてしまったせいで、労働者階級の人々が当然のごとく怒りを抱き、それが今回のパンデミックへの対応も含め、惨憺たる結果を招いてしまったという。

能力主義によって社会が分断(勝ち組と負け組)されてしまい、パンデミックという国家としての団結が求められる危機が来てもまとまることが出来ず被害が拡大してしまっているということですね。

具体的には経済的に余裕がない人ほど、いわゆる負け組と呼ばれる人ほどコロナによる被害が大きく、それにより社会全体が停滞してしまい、ほかの層にまで影響を与えています。


能力主義が自己責任論を加速させる

社会の頂点に立った人は、自分が成功できたのは自分の実力だと考えがちです。実力で成功したのだから、市場社会が成功者に配分するものを受け取って当然だと考えるのです。それは置いてけぼりになった人たちは自業自得だとみなす見方にもなります。

上記は典型的な自己責任論であると思います。能力主義が盛んに叫ばれた結果、成功者は自分の能力・実力が他社よりも秀でていることによって成功を掴み取ることが出来たと勘違いしてしまいます。

実際はさまざまな人との出会い、育った環境や生活している環境といった自分ではどうすることもできない「運」に属する部分が大きいのですが、能力主義はそうした要因を無視してしまいます。

こうした考え方は、環境、言い換えると家族や学校、会社といった共同体に対する感覚を鈍らせてしまい、より個人に焦点が当てられてしまい、新自由主義、グローバリズムの推進する「共同体の破壊」とも上手くマッチしているのではないかと思います。


権力者が能力主義を主張する理由

権力者が能力主義を主張する理由について考えてみようと思います。

理由は大きく分けて2つあると思います。

1つは一見すると夢や希望を与えることになるからです。「誰でもトライすれば成功できる」といった文言はどのような立場にいる人にも夢や希望を見せてくれます。しかし、実際には「ある程度社会的な状況が整えられたうえであれば」という文言が必要になるのではないでしょうか。そしてそうした状況、トライしようと思える環境を用意することが政府の役割だと思います。

もう一つは自己責任論を蔓延させることで自分たちに批判を向かせないことです。能力主義によって成功できない人間は、社会のせいではなく、もっといえばそうした社会を構築できていない政府のせいではなく、努力不足、能力不足、実力不足である個人のせいであるということが出来ます。これによって成功できずにいる人のヘイトを権力者に向けずに自分に向けさせるという構図が出来るのではないでしょうか。

さらに社会全体に自己責任論を蔓延させれば、勝手に国民同士が自己責任論で罵り合い、社会システムの歪さに目が向けられず、ルサンチマンプロバガンダによって共同体の破壊のためにそうした勢力を用いることも出来てしまいます。


謙虚な心を持つことの大切さ

能力主義によって自己責任論が蔓延し格差拡大を続けている社会から抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか。

人生において好運がいかに重要なのかがわかれば、謙虚な心も持てるかもしれません。いまの問題の一部は、能力主義の仕組みでエリートになった人たちに謙虚な心が欠けているところです。私はそれを「能力主義の傲慢」と言っていますが、その傲慢さに挑むのが重要な第一歩です。

能力主義を改めることで大切なのが謙虚な心です。自分が成功した、エリートになれたとしてもそれは周りの人、環境、自分ではどうすることもできない運に依るところが大きいのではないか、という謙虚な心を持つことが重要と述べています。

自己責任論の蔓延によって失われてしまった、「他者への思いやり」「周囲に感謝する心」そしてそうした心を持つ余裕を手に入れる必要があるのではないかと思います。

能力主義が改められることを祈ります。

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