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海の向こうの税関にて その1

テルアビブについて感じたことは、もちろん戦時下である緊張した空気。他の空港とは違い、一人でウロウロキョロキョロする杖をついたおばあちゃんを、歓迎どころか、降り立った瞬間から怪しみながら、いかつい私服の大男たちが凝視している

巡礼の服装ならまだわかりやすいかもしれないが、パスポートをかざしての入国カードは7年ぶり。何度も撮影に失敗し、隣の人のやり方をみてやっと完了。旅慣れた方がこれを読んでいたら大笑いされるのは間違いない。

パスポートコントロールまでの道

やっと終わってパスポートコントロールに向かう。通路にはまだ帰らぬ人質のかた達の写真があり胸が詰まった。

ここから先は覚悟して読んでね。

息子の話によると、イスラエルの街はまた反政府デモが再開されるとのこと。

ほとんど人がいない街

友人のSさん(現地で結婚してガイドをされてる日本人女性)の話によると、音楽祭のテロが起こる前、毎週その反政府デモに(極右派に対するもの)参加していた息子さんたちも予備役に志願したという。

イスラエルに着いて聞いたのは、ガザに入っていくのは新兵ではなく、ほとんどか覚悟を決めた、テロの怖さを知る予備役の志願兵士達だということ。そしてハマスの待ち伏せで毎日、その兵士たちがなくなっている現実。

パレスチナの子供達の悲惨な状況と、パレスチナ人の累計死傷者しか報道されない日本にいては分からない。音楽祭のテロでレイプされ半裸で放置された女性の死体や首を胴体から切断されたり腹を割かれた妊婦の死体を片付けることも彼らの仕事だったという。

無言の人質写真

日本にいた頃、週刊誌のタイトルで『ハマスとイスラエルどちらが悪魔か』と言うセンセーショナル見出しを見た。もちろんは買わなかった。でもここにいると、平和ボケしてちゃいけないと切実に感じる。

ウクライナのこともイスラエルのことも、他岸の火事と思ってはいけない。しかし、ホンモノの戦時下に目を覚まして一丸となっているはずのイスラエルにおいても、人々はまた反政府デモを再開するという。

民主主義とはそういうものなのだ。そして反対の声を上げる人々に『幸あれ』と祈るのが宗教かもしれない。イスラム教にもユダヤ教にもそれはある。

そういう宗教のない国と戦う時、何が起こるかはわからない、対岸の火事でなく他山の石と思わねば日本もやられる。私たちにその覚悟があるか?それを問いながらこれからの日々を過ごそう。祈りの尽きないこの街で。

空港に降り立つ宗教家の人たち

長くなったのでその2に続く…。

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