ユウと魔法のメッセージ

第一章 向こうの世界へ


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轟々と身を打つ雨のなか、あなたはわたしに見つかった。深い森の中から這うように。伸びた右手に生きる希望を見た。私はあなたを家に連れ帰った。

イーブル、あなたは本当に魅力的。
誰でもよかったわけじゃないよ。本当にあなたと共にいたかった。でも、少し強引すぎたのかもしれないね。
私とあなたの子供がまだ自分を持つ前に、あなたは故郷へ帰った。あんな顔を見せられて、引き留める訳には行かない。

私とあなたの子供が10歳になった時。
まさにあの日が再び訪れたような、激しい夕立。
いつものように行帰山(ゆきざん)から下っていた私達は目の前を奪われた。繋いでいた手はいつの間にかするりとぬけて、彼の姿が見えなくなった。彼は何かに気を取られた。息をつく間もなく、徐にそちらの方へ歩く彼。
そのあと聞こえた、あの音だ。あなたが現れたあの日、同じ音が聞こえた。空間が引きずり込まれるような音。耳の奥から遠くに抜けていくようなあの音。

あなたの姿が脳裏に浮かんだ。でもあなたが帰ってきた訳では無かった。彼がそちらに行ったのだ。そうか、今が約束のときだ。私は彼の帰りを待つことにした。いや、それしか出来なかった。
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僕には、不思議な力がある。
ただ念じれば触ってないものを動かすことが出来たし、目を閉じて思い浮かべた想像が、目を開けば現になった。母は僕を羨ましがった。母にはこの力は使えなかった。だけど、母が僕を羨ましがるのは、僕が労力をかけずに部屋を掃除できるからではなく、食卓から動かずに水をカップに注げるからではなく、なにかずっと、ほかのことのように思えた。

いつものように母と行帰山に登った週末の日、予報になかった夕立に襲われた。天気が崩れる日に山には登らない。あんなことになるのは初めてだった。移ろい易い山といえど、経験したことの無い大雨と豪風にあっという間に包まれて、すぐそこにいた母の姿も見失ってしまった。
その時、靄の先に光るような澄んだ青い目の凛々しい猫の姿を見た。雨に強く打たれているのに、顔を真っ直ぐ僕の方に向け、動かない。食い入るように見つめていると、猫は背を向け歩み始めた。僕は気がついたら猫の後を追っている。数歩、登山道から逸れた木陰にこの世のものとは思えない石碑があり、猫はその前で立ち止まった。僕がその石碑を覗き込むと、猫はその左手を僕の右腕に、その右手を石碑に置いた。
ー消えた。僕と猫が、この世から。

意識を取り戻した時、一瞬だけ激しく揺らされ、母の運転する車の助手席にいる時のような、気持ち悪さに襲われた。それもつかの間、見上げると隣には見たことの無い姿の生物。コウモリのような羽をつけた、馬?いや、大きい猫?僕が目覚めたことを認識したその瞬間、僕の体をヒュンッと頭で天に放り投げ、その背中に僕を乗せ、そのまま丘を駆け降りだした。
ん?丘?気がつけばさっきまでいた山中の景色では無い。こんもり盛りあがった丘の上にいて、そこからものすごい速度で駆け下りている。丘をおりた先には洋風の建物群と、石畳。本でしか見た事のない、僕の知らない街だ。群衆の中を駆けていく。皆激しい雨から身を守るように、家路を駆けている。かたや僕は周りを見ている余裕もなかった。ただその馬のような生き物の首にしがみつき、何とか振り落とされないように必死だった。視界の隅でこの街が流れていく。顔を向けてまじまじと見ずとも、なんだか異質な世界にやってきたことが分かる。街の色味、空気、匂い。どれも感じたことの無いもの。さっきまで山にいたじゃないか。いつもの週末のように。馬のようなその生物の僅かな温もりを感じることでしか命を確かめるすべがない。
するとその馬のような生物はその羽をめいっぱいはためかせはじめた。白い羽の生え際のところ、そのときはぷわっと青い光を放ったように見えた。あっけに取られているうちにみるみる体が浮かび始め、町を見下ろす切り立った崖のような所をめざして飛んだ。そこまで険しい崖ではなく、高台のような場所。10メートルくらいの高さだろうか。そこに辿り着くと、数歩走った先でようやくその激しい走りをやめた。すっと背中から下ろされ、僕はその場に膝まづいた。びしょびしょで、体が重い。顔を上げることも出来ない。なんだ。何が起こったんだ。今どこにいるんだ。息を切らしながら顔を上げると、そこにあの馬のような生物はいなくなっていた。あれ?振り返ると、そこには1軒の家が立っている。さっきまでは何も無かったこの崖の上に。その家はまたなんとも奇妙で、古いような、新しいような、いつ建てられたのか分からない木造の家。赤茶の板張りで、屋根の上にまた展望台のようなものがあって、そのまた上にとんがった屋根がある。観測台のようだ。使われている木材は確かに古いものであるのだけど、その古さを感じさせないようなエネルギーをその家自体から感じる。
「さあ、中に入ろう。」
声に驚いた。気がつくと横に青年が立っている。いつからいたんだ?全く気づかなかった。僕よりはだいぶ歳上に見える。凛とした佇まいで、青い目。優しく僕に語りかけるその表情はなぜだろう、どこか安心感がある。
僕は彼の手を取り立ち上がる。彼はドアの前に着くと辺りを見渡し、なにか小さな声を囁いた。
カチャカチャとドアの中から音がする。ゆっくりとそのドアは開き、家の中に案内された。
古びた木の温かさを、ランプのオレンジ色の光が優しく照らす室内。広々とした八角形の空間とその中心を貫く螺旋階段。その下から駆け上がってくる音がする。
「よかった!無事で!」そう言って駆け上がってきた女の子は、手を伸ばして僕と青年をまとめて抱いた。
「思ったより事態は深刻だよ。時間はほとんど残されていないかもしれない。」青年は深刻そうな顔をした。
「そうか。」そう呟いた声は、部屋の奥からする。
そちらの方に目を見やると、1人の老人が窓の外を見て佇んでいる。髭を蓄えていて、顔のシワが深い。なんとも言えぬ圧倒感に包まれていて、僕はその男をしばらく見つめていた。初めてあったけど、初めてじゃないような。。
「よく来た、ユウ。」男はゆっくりと振り返った。
顔を見ると、あれ。意外に若い。後ろ姿からは想像できないくらいに。あっけにとられていると隣の青年が口を開く。
「紹介が遅れたね。僕の名前はサダメ。この子はシグレ。そして彼は、君のお父さん。イーブルさんだよ。」
イーブルはゆっくりと頷いた。
そう言われる前から、僕は薄々感じていた。きっとこの人が僕の父なのだろうと。母から聞いていた。父は偉大な魔法使いだったと。その力を継いだから僕にも不思議な力が使えるのだと。
このおかしな事象の連続、知らない街、僕を知っている人たち。ここは父の住む世界。僕が住んでいた世界とはまるで違うところだ。そこに案内されたのだ。
「ようこそ、こちらの世界へ。」

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