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軽く扱われる人気漫画家と業界の今後

セクシー田中さんの原作者が亡くなったというニュースが飛び込んできて、衝撃を受けています。原作者の芦原妃名子様には心から哀悼の意を捧げます。また、関係者の皆様の平安をお祈りいたします。

さて、僕は一瞬だけこのドラマを見ましたが、基本的にドラマも原作漫画もほとんど知らないです。ただ、数日前に、原作者とテレビ局が揉めているという話を知り、気にしていたところでの訃報だったため、とにかく衝撃でした。

詳しいニュースの流れは、@takigare3のポストを見る方が理解できると思うので、説明は省略します。この記事では私の感じたことを記録として残しておこうと思います。

泣き寝入りする原作者

はじめに、このようなトラブルは以前から良く目にすることがあり、原作者とテレビ局が揉めるというのは、残念な事ですが、かなり多いように感じます。
そして、基本的には立場の強いテレビ局側が自身の創作物を守りたい原作者側の思いを踏み躙るような展開がデフォルトと考えています。

私がよく覚えているのは、辻村深月氏とNHKが「ゼロハチゼロナナ」という小説のドラマ化で揉めてしまい、ドラマ化が経ち消えてしまったケースです。この時も、ポイントなのは「全然違うじゃん!」と原作者が思ってしまうようなアレンジだったことで、原作者・出版社側とNHK側での折り合いがつかなかったようです。

どうしてこうなるのか分かりませんが、多くの場合、テレビ局側の権限が圧倒的に強く、原作者側は報酬の面でも、著作者人格権の面でも弱い立場にいることが散見されます。

そんな現状をサブカル界隈のカリスマとも言える岡田斗司夫氏はYouTubeの中で、

「映像化」は原作者にとっては魂を売るようなものなんです。それによって自分の作品をより多くの人に知ってもらうきっかけになるんです。

【注意】著者がかなり適当な改変

みたいなことを話していたので、長年アニメ界隈、映像界隈で働いてきた人が言ってるんだから間違い無いんだろうなと感じたことがあります。(元の動画を見直してないので大分異なっていたら、すみません、責任は著者にあります)

こだわる原作者が見せたスタイル

では、原作者は泣き寝入りするしかないのかと言ったら、そうではないと思います。

例えば、昨年(一昨年?)、スマッシュヒットを叩いた映画スラムダンクは原作者の井上雄彦氏が自ら映画化の陣頭指揮を取り、原作ファンの期待値を軽々と超えたことは記憶に新しいです。

映画スラムダンクでは、声優などは以前のアニメ・スラムダンクの声優陣を入れ替えていたし、宮城リョータのサイドストーリーを入れるなど原作と異なるアレンジもしていました。これを考えると、映像化にあたって原作をアレンジするというのは原作者でも普通に行うんだなと思いましたし、もしかしたら以前テレビで放送されていたアニメ・スラムダンクの声優陣は原作者のイメージと齟齬があったのかな〜?などと考えたりもしました。

まあ、要するに何が言いたいのかというと、テレビ局は「自分たちは映像のプロなんだから、自分たちが主導権を握って進めさせていただきます!」って思っていると思うんですが、全然そんなことないよ!と言うことです。原作者が主導権を握って大成功することだってあるんです。

ちなみに、近年、ワンピース、シティーハンターなど日本の大ヒット漫画が海外で実写化されていますが、この流れは日本でドラマ化した場合の報酬額との違いも大きいと思いますが、それ以上に大きいのは原作者への敬意だと思います。事実、ワンピースの実写化が実現できた背景には、原作を正しく映像化することに徹底的にこだわり、原作者の尾田氏が納得するまで協力する体制があったからこそだとどこかの記事で読みました。

対立を生む構造的問題

さて、そうは言っても日本では映像化はテレビ局が中心にいます。そして、とても当たり前の話ですが、テレビ局だって、自分たちの正義があり、自分たちの出せる最大のクオリティーを出したいと思っているはずです。

私はここに大きな問題があると思っていて、一つの作品にクリエイティブなグループが複数あるとコンフリクト(対立)が起こるのはほぼ100%なんじゃないかと思うのです。

例えば、私は食品メーカーの開発をしていましたが、マーケティングと開発は結構な頻度で対立をします。開発はお客様を軽視するし、マーケティングはスピードやコストを優先して商品スペックを軽視したりします。どちらが正しいわけではないけれど、結局、優先されるのは主導権を持っている側の意見なのです。主導権を持っている側が大事なところは全部決めていくし、報酬ももらっていくんです。

映像を作る場合も基本的には同じ問題があると思っていて、テレビ局側と原作者側が別の人だった場合には当然、対立するし、多くの場合には映像化、実写化の場合には主導権はテレビ局側にあると思うので、テレビ局側が力を入れれば入れるほど原作者を置き去りにしてしまうんだろうなと思うのです。

私が感じたもう一つの大きな問題は、脚本家とテレビ局の距離が脚本家と原作者よりも圧倒的に近かった点です。これは作品やテレビ局によって異なると思いますし、そもそもニュースなどを見て勝手に想像しているだけなので憶測です。

ただ、テレビ局が脚本家を指名しているとしたら、脚本家は原作に敬意を払うことよりもテレビ局の期待に応えたり、脚本家視点の面白さを優先すると思うし、そもそも原作に忠実な脚本を作っていたのでは、脚本家の仕事はただの文字起こし作業になってしまい、仕事自体に付加価値は減って行くでしょう。

その一方で、原作者が脚本家を指名する権利があれば、きっと原作に最大限敬意を払う脚本家が増えてくれるのではないかなと思いました。

結局、主導権がどちらにあるのかという話と同じなのですが、脚本家の人事権くらいは、原作者が持っていないと、今回のトラブルのような地獄のようなやり取りになってしまうのではないかと思います。

ちなみに、私は仕事で非常に微妙なライターと業務をしたことがありますが、一度、この人はダメだ!と思ってしまうと、正直なところ、その後の仕事がほとんどそのライターさんの粗探しみたいな目で見てしまうことになり、まともに仕事ができませんでした。

今回の事件の原作者と脚本家はそんな距離感だったんだろうと思いますし、原作者からは、一度も直接お会いすることがなかったというコメントがあったので、コミュニケーションが死んだ関係性だったんだろうなと感じました。

まとめると、今回の事件の背景にある問題として、

  1. テレビ局側、原作者という2つのクリエイティブなグループがあったことで対立構造ができやすいということ

  2. 原作者の著作者人格権を守るための1番のキーパーソンである脚本家が原作者ではなくテレビ局側に極めて近い立場にあったこと

  3. 映像化の主導権がテレビ局にあったこと

の3点が構造的に原作者を追い詰めているだろうなと思いました。

これからどうすれば良いのか?

では、これからどうしたら良いのでしょうか?いくつかあると思いますが、一つは、もし脚本家にクリエイティブを求めるのであれば、その立ち位置をもっと原作者に近づけて、なんなら原作者の気持ちを誰よりも深く理解してくれる人にしてもらうことだと思います。

もう一つは、脚本家を無くすというのも手段としてあると思います。脚本家は、オリジナル作品の脚本だけを作ってもらい、原作がある著作物の二次利用の場合には、生成AIなどに脚本を作って貰えば良いのではないかとも思います。正直、これからの時代はこれが1番現実的な解決案にはなると思うので、脚本家にとっては恐ろしい時代だとは思います。

そうは言っても映像化には、脚本だけでなく、情景やキャスティングなど本当にさまざまな要因があると思うので、生成AIだけでは解決できない問題もたくさんあると思いますし、結局のところコミュニケーションの問題や製造期間が短すぎて納得がいくレベルの仕事ができないなどの問題が根底にはあるので、そこはやっぱり人間的な力やテレビ局側の業務改善で乗り越えてほしいなと思います。

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