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引越し日記-2

今年の黄金週間は、有り難い日々だった。
新居近くの神社さんの御利益か、魔女業(占いのようで占いでない、「透明なお悩み」の解決屋さんをしています。カード占いにカラダほぐしもコースに加えました)のお客様が続けて何名かお越しくださった。

思いがけず、体のほぐしについても「習いたい」とのお声があり、お応えすることとした。

所謂「セラピスト」の道に入ったのは2011年の3月だった。
リラクゼーションサロンの入職後、最初に全員が受ける東京での研修中に大きな地震があり、懊悩の末に家族の元へ戻る同期を見送った。

提供技術の均一化の為に研修は人形町でしか行われておらず、地方採用者もそこでしか技術を習得出来ない上に中間審査でクビ(脱落)になる場合がある制度になっていた。
(遠方組用の宿泊施設もあったが、それはどう見てもホンモノの「タコ部屋」であった)

一旦離脱したら最初からやり直しという、非常事態にも非情な制度でもあった。

帰省組も残る組も、皆それぞれ苦悩の決断であったと思う。
私の両親は比較的、被害の少ない地域だった為、私は「残る組」とした。当時の私は過呼吸持ちで不眠症、どこでバイトしてもポンコツというその他諸々「社会不適合」の自覚と実績があり、この道の他にマトモな(フリができる)生き方があると思えなかったのだ。

帰宅困難で急遽、私は研修ビルに泊まることになったが、なにせ「リラクゼーションサロンの研修所」であるからベッドとタオルは十分にあり、寝床には困らなかった。

連日連夜、スマホの地震警報が一斉に鳴り、明らかに心身をすり減らしている者も居たが研修はほぼ予定通り進んだ。


皆、どこかしら、心の一部がおかしかったと思う。


そうしてリラクゼーションサロン4年、自宅開業1年、エステサロン2年と「セラピスト」の肩書きは暫く続いた。
勉強出来ることも山ほどあってオタク欲も満たされ、何よりお客様との関わりが好きだった。体に触れることで、心そのものに触れていた。

一方で、拘束時間が長く「生活」を営む隙がなくなり、最後の方ではお客様の暴力事件のようなものにも居合わせてしまい無力感に心が折れて、結婚を機に辞めたのだった。

6年程か、ブランクが出来てしまったけれど、離婚を機にこの度、再開となった。
また勉強もし直さなければならないが、それもまた嬉しい。

「心と体をほぐし、緩めて、暖める」という生き方は、ずっと前から私に明るい道を指し示してくれていた。
その道を離れてしまって、もう随分燻って、消えてしまった火だと思っていたが、まだ小さく灯っていたようだ。

大事に大事に、育てていきます。




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