ヒプノセラピーで「幸せに死んだ」話

ヒプノセラピーを受けてみた。
過去生を自分で見に行ったり出来る療法なのだそうだ。

体験した感想としては、誘導瞑想のような、イメージ遊びに没頭していくうちにストーリーや感情が勝手に自分の知らない所から出てきて時々自分と混ざるような、間借りさせるような感覚だった。

それが、自分にとって大事な扉になった体験であったので、忘れないように記しておく。


最初、何も映像的には見えず、私はただ目を閉じて横たわっていた。
誘導されるうちに胸の中央が痛くなってきたので、そこからアプローチが始まる。
すると、左手が勝手にピンピンと動き出した。

完全に私の意識ではない動き。
初めは何も分からなかったが、観察して心を添わせていると段々と分かってくる。

踊っているのだ。
楽しくて、滾っていて、無我夢中になっている。
遠くの森に息づく獣達の命の鼓動が、地を伝わって私に届く。
空が山が、私の命を飛び跳ねさせる。
これが踊らずに居られるか。


左腕があまりにも必死に見えたのか、「(踊りは)仕事でやっているの?」と誘導者に尋ねられると、えぇ…?仕事…萎えぇ…とでも言うように私の左手はぐったり黙り込んでしまった。

何かしらの神事での踊りらしくそれなりの役割もある様だが、「仕事」という意識はなく、本人的には「流れ込んでくるエネルギーに乗って踊っている」のが何より好きなだけなのだった。

祭=政であって、踊り狂うお祭り女は自分が政治的に利用されている事も知ってはいたが、嫌ってもいた。


誘導が進み、断片的に別の人生も垣間見ることが出来た。
今度は歌っていた。ヨーロレイヒー。お祭だったのかもしれない。

誘導されて視点を雲の上まで持っていくと、雲の隙間から虹色のリボンがはためいていた。
地上で歌う女(私)から、ピロピロと天まで伸びてきていた。
「おっ、あそこ(地上)でやってんね」と分かるようにリボンが良い目印になっている。

この虹色リボンは、祈りや神様へのお願いごとを表しているようだった。
後に、「歌は神様に届きやすい」と何かで読んでこの事かと合点がいった。

(このピロピロリボンは、2回目のヒプノセラピー体験でも見ることになる。次回書くこととする)

その後もマリア様の影を見たり、丸々太ったタヌキと話したりもしたが割愛する。



セラピーの最後に誘導者によって「1番あなたが輝いている、満たされている場面に行きます」と促されると、私はまた踊るお祭り女であった。

しかし今度は飛び跳ねてはおらず、天に向かって両手を伸ばしていた。
お日様や、山や森や獣達のエネルギーが両腕を通って私に入る。
私の身体を通したエネルギーが天に還って行く。気の交換だ。

誘導者により「最高潮の状態」に促された時、私は身体いっぱいにエネルギーが満たされて、心穏やかに泣いた。

「これで、やっと死ねる」
安堵と達成感、充実感で幸せであった。


「やっと」というのは、「やっと約束が果たせる」という感覚だった。

死んだ瞬間に唐突に理解したのだが、私の魂は何処かから来た時に、肉体を借りて地に降りたのだ。

ご馳走が詰められたタッパーをお裾分けされたら、タッパーを返す時にはまたお礼にご馳走を詰めて返すのがマナーでしょう?

だから、肉体が土に還る時、その肉体はエネルギーに満ちて栄養満点でないといけない。

肉体は借りた容器であって、お返しの際にはまたこの星の命を繋ぐ役目を果たさなければいけない。野ざらしの肉体を獣達がついばみ、命が廻って、土に還れる。生かしてくれて、ありがとう。たくさんお食べ。肉付きは良い方なんだ。

そのようにして、生きて死ぬ。
そうして約束を繰り返す。


セラピーを終えた後、口にするものに少し気をつけるようになった。
いつか栄養満点の体をお返しするために。

体も魂もすり減らしていてはいけない。
自分をちゃんと生きようと思った。


▼根気強く導いて下さるヒプノセラピストさんはこちら(ももねこ さん)

jun_momoneko@yahoo.co.jp


▼その2はこちら
虹色のピロピロリボン、ふたたび。




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