見出し画像

曖昧な日

今日は朝早く目覚めてしまった。昨日はイベントがあってとても疲れていたはずなのに、昼過ぎまで寝ている予定だったのに目覚めてしまった。体が重い。立ちっぱなしだったせいか足も痛い。もう一度眠ろうとしてもどうも目が冴えてしまって眠ることができない。疲れているのに眠ることのできないこの感覚は非常に気持ちが悪い、というか私自身の気分も良くない。ベッドの上で横になっていてもただ時間が過ぎていくだけなので時間がもったいないと思い体を起こす。頭がぼーっとする。外は明るいが一体何時なのだろう、そう思いながら一階へと階段を降りる。両親の姿があった。おそらく8時は過ぎているのだろう。
パジャマから着替えなくてはと思い部屋着を手に取る。着替える。洗顔をしなくてはと思うがそんな気力は沸かなかった。とりあえず口だけでもゆすごうと思い洗面所に行く。水は生ぬるかった。リビングに行くと医療ドラマがついていた。リビングのソファーに座る。もう一度眠れないかと体を背もたれに預ける。けれど眠れない、けれど眠い。そうこうしていたら母親が朝ごはんを食べろと言ってきた。眠たいが逆らうと面倒なのでテーブルに置いてあった玉ねぎのサラダと鶏肉を口に入れる。美味しいのかどうなのかも分からないが咀嚼する。少し食べただけで食べる気力が失せてしまった。姉の席には眼鏡が置いてあった。姉は仕事だろうか。そんなことを考えながらもう一度ソファーに戻る。もう一度寝ようと試みる。しかし眠れない。
どのくらいこの葛藤をしただろうか。母親が声をかけてきた。「庭の梅の実を収穫しよう」と。こちらは眠いから断った。だがしつこく声をかけてくるから渋々了承した。すると母親は作業着を持ってきて着替えろと言う。私は言われるがまま重い体を動かして着替える。日焼け止めを手渡されたから顔に塗りたくる。「早くあなたも来てね」と言うと母親は外に出ていってしまった。このままだらだら家にいても怒られると思い、外へ出る。太陽が眩しい。庭の梅の木の前へ行く。母親は脚立を出してバケツを片手に梅の実の収穫を始めていた。梅の実がたくさん入ったバケツを手渡される。「傷ついたやつとそうでないもの選別して」と母親は言う。私は庭にしゃがみこみ選別を始めた。傷物はゴミ袋へ。きれいなものはまた別のバケツへ入れる。そんなことをしていた。傷物は捨てる、これは人間と同じだなと思った。いつも傷なく正常な人間だけが重宝されて他は捨てられる。傷物なんてあっても仕方がないから人間社会のこの自然的な代謝はある意味合理的なのだろうと思った。梅の実を仕分けていく。でもどうにも私は仕分けることがうまくできない。選ぶということがうまくできない。判断がつかない。頭が回らない。仕方がないからてきとうに、本当にてきとうに梅の実をバケツなりゴミ袋に入れていく。判断することができないというのは仕事でも痛感していた。漢字テストの採点業務があるのだがどの基準で採点をすれば良いのか分からなくなってしまう。だから採点も基準が曖昧のままやってしまう。とても不誠実だとは思うが漢字のトメ・ハネ・ハライを厳密に採点できるほど私には力が無かった。だからなあなあにしてしまう。自分は良くないなと思いながら梅を手に思っていた。5月の風が気持ちよかった。頭の中でCHANELのハイライトの名前である”ボーム エサンシエル”の名前がぐるぐる回っている。You Tubeのメイク動画で観たからだろうか。ずっとそのフレーズが頭で回っている。サンシエル、サンシエル、サンシエル。可愛い名前。するとお向かいのおばあさんが声をかけてきた。「梅獲ってるのね、うちもこの前獲ったのよ。今年はよくなるわねぇ」と言った。片手にはなにやら棒と瓶を持っている。「ちょっとそっちへ行くわね」という言葉と共に庭に入ってきた。「家の中からあなた達が梅の収穫しているの見えたからいいもの持ってきたのよ。これね、支柱なんだけど高いところの実はこれで落としたらいいわ。高いところの実を無理に取ろうとしちゃ危ないわよ、これ使いなさい」と言って母親に支柱を差し出す。母親は「まあ!ありがとうございます!!」とやけに甲高い声を出す。続けておばあさんは「これね、焼酎なんだけどね、梅を漬ける時に瓶を消毒するのに必要だから使いなさいな。瓶を洗っただけじゃだめなのよ、お酒で消毒するの」と言った。『焼酎なら私の部屋にいくらでもあるのに』と思った。おばあさんは私に焼酎の小瓶を渡してきた。私はやけに甲高い声で「ありがとうございます、助かります」と答えていた。おばあさんは梅の木に手を伸ばしていくつか実を獲った。すると梅の選別をしている私に「こういうね、傷が付いてるのはだめなのよ、漬けた時に腐るから」と言っていくつかの実を見せて説明してくれた。私は深く頷く。おばあさんは続けて「梅を漬ける時にはね、このヘタを竹串かなにかで抉って取らなきゃだめよ」と言った。私は「教えてくださってありがとうございます」と深々と頭を下げていた。おばあさんはしばらくすると戻っていった。お年寄りの知恵は確かだからきちんと受け止めようと思った。
母親は実を木から取って私が仕分けるという時間が続いた。互いに無言だった。私の頭の中は起床時同様、混沌としていた。混沌とした中にもこの沈黙をどうにかしなければという気遣いの精神が働いていたのか、私は最近会った友人の話やシロツメクサとミツバチの関係性などとりとめのないことを永遠に話していた。話同士に全く繋がりはない。けれど思いつくがままに口を動かし続けていた。
「そろそろ終わりかな」と母親が言った。私はほっとした。けれど私の目の前には仕分けなくてはならない梅の実が残っていた。大慌てでそれらを始末する。10分ほど黙々と手を動かして仕事は終わった。しゃがんでいた体を立たせると軽く目眩がした。太陽が眩しかった。

久しぶりに汗の匂いが自分から漂っていた。

私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。