溢れる
幸せな悩みがある
なぜ自分はこんなに夫が好きなのかわからない
嫌いなところがひとつもない
それを言うといやいや、と言われそうだが本当に無い
完璧かと言われれば全くもって違う
大事な時に頼りないしビビりだし効率も悪い
でもそれは嫌いなところではなく、夫の性格でしかない
そういう人という認識だ
そしてそこも含め愛している
時折、自分の愛情の深さが想像を裏切ってくるのでマリアナ海溝くらい深いなと恐ろしくなる
喧嘩は全くしない
要因が無いのだ
呆れることがないとは言えない
でも自分一人なら、呆れることすら出来ない
今この人が同じ空間にいて、自分を前に素を出しているからこんなボロが出ているんだろうなと思うとそれすらも愛しく感じる
常に物事を結果として見るより、ずっと違う視点から愛しいと眺めている
そしてそれは夫もそうなのだ
どんなに部屋を汚しても夫は汚れた部屋ではなく、汚れた部屋でも楽しそうにしている自分を見てくれている
楽しそうならそれでいいかと思うのだ
お互い以外は全部ただの景色なのだ
夫が、愛は許すことだと昔何かで見て、そこから好きな言葉だと言った
驚いたことに自分はオリジナルで、愛は許すことなのかもなと思っていたので心臓で握手した
いや、間違って握り潰すと怖いので撫でた
とはいえ何をされても許す、とはまた違う
イメージとしては信頼や信用、尊敬や尊重、そういったものの先に賞として許すがあるのだと思う
何気ない気遣いや愛情表現、全ての積み重ねだ
許す、は自分がむやみにあげるものではなく
相手の行動に対して贈るものなのだろう
なので何もしてないのにトロフィーを掴もうとしてくるやつはろくな奴じゃない
レッドカードだ、出場停止処分、なんなら自分の人生からも除外だ
沢山許してくれていることを日々夫から感じる
だからこそ自分も無限に許したくなる
目は口ほどに物を言うと言うが、本当だなと夫の目に映る自分を見て思う
この人と一緒にいる自分が好きだと思う
いつも笑っていて素敵だと思う
やけに長い待ち時間も、やたら硬い肉も、ありえんほど寒い気温も、くさすぎる生ゴミの匂いも何もかもが面白い
その瞬間の全てが愛おしい
そうやっていつか、どちらかが先に居なくなっても大丈夫
ただ残るのはその人から貰った愛情と同じだけの思い出と、その人への愛情と同じだけの涙なのだ
なんて考えているだけで涙が出る自分は、きっと
愛が溢れている
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