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神奈川フィル 6/26公演 感想

昨日は神奈川フィルハーモニー管弦楽団のコンサートへ。小泉和裕さん指揮で曲目はベートーヴェンの交響曲2番とフランクの交響曲。本当に素敵な時間を過ごすことができた。

まずは、ベートーヴェン2番の話から。 
ベートーヴェンの交響曲は自分でも呆れるほど聴いていて、2番もその例外ではない。にも関わらず、コンサートでは、初めて聴いたかのような新鮮ピチピチの音として耳に響いてきた。それに加えて、普段「ながら」で音楽を聴いていることから、音楽だけに集中するコンサートは、今まで聴き逃してきた曲の細部や構成に気づかせてくれた。これは音楽の聴き方というのを大前提を反省させられた瞬間だった。

自戒を込めて言うと、音楽だけをじっっっくり聴く贅沢で豊かな時間、そういうのを忘れちゃいけない。芸術体験は一夕一朝で味わえるものではない。例えば、文学や哲学を読むことや理解することだって、易しいものではない。時には読み通すのに数ヶ月かかることもあれば、読了後も疑問がずーっと頭に残ることもよくある。

音楽も同じ芸術だ。楽しむことはできても、理解することは難しい。例えば、モーツァルトの天真爛漫な音楽は聴いていてとても楽しいが、その影に見える何とも形容し難い彼の悲しみは、本当に謎…。小林秀雄はモーツァルトの手紙を引用しながら、このことについて仮説を論じているが、僕にはどうも腑に落ちない。(ぜひ、小林秀雄『モオツァルト』を読んでみてください) 僕なりの仮説を出すためには、音楽だけにどっぷり浸る時間が必要なんだろうな〜と思う。

話は逸れたが、ベートーヴェン交響曲2番のクライマックス、4楽章について軽く触れたい。ここは華々しさに満ちた晴れやかな調子なのだが、演奏を聴いていると、何故か、一瞬、ほんの一瞬、涙がこぼれ落ちた。歓喜の涙ってわけでもないし、悲嘆の涙ってわけでもない。何だったんだろう…。今後、何度も何度も曲に問いながらじっくり聴き返すことで、その理由も自ずと分かるのだろうか。

そして、2曲目であるフランクの交響曲。これは今まで知らなくて、今回のコンサートに向けて、予習として何度も聴く中で好きになった曲だ。どこか懐かしく柔和な響きと、恐怖心を駆り立てるような重厚な響きが相反しながらも呼応しているような曲という印象だ。これも言わずもがな、終始鳥肌が止まらない素晴らしい演奏だった。

久しぶりにクラシックコンサートに足を運んだけど、こんな素晴らしいものだったっけ・・・(以前はクラシックに興味がなく、曲も知らずに赴いていたので当たり前…笑)  あぁ、クラシックの沼は深い…。

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