ショーペンハウアー哲学の影響

何度かnoteにも書いていると思うが、私の人生観はショーペンハウアーに出会う前後で全く違うものになってしまった。孤独を愛すること、世界の絶え間ない生成に疑念を抱くこと、そしてその生成は「意志」でしかないこと、これらを教えられたのは良くも悪くもあまりにも大きな影響だった。

ショーペンハウアーはカント読後の感想を、白内障の手術後のように世界の見え方が変わった、ということを言っていた気がするが、私のショーペンハウアーの読後感はまさにそれだった。ページを捲るごとに新たな発見があり、その瞬間に高まる鼓動も生々しいほどによく覚えている。

しかし、私のショーペンハウアー理解を前提にしていては正常な社会生活が送れないことも事実。どうしたらいいか…。

その打開策のヒントの一つは同じくショーペンハウアーに心酔したワーグナーにあるかと。彼は「神々の黄昏」でショーペンハウアーの思想を台本に落とし込んだが、最終的にはそれを改訂し、言葉を持たない音楽に全てを託した。彼はその哲学が前景に出ることを躊躇ったのかもしれないが、ショーペンハウアー哲学を克服したとも言えると思う(遺作である「パルジファル」には一部ショーペンハウアー哲学が垣間見えるが、改訂前の「神々の黄昏」よりは露骨ではないかなと…)。

とまぁ色々書いてきたが、ここ数年私はショーペンハウアー哲学を何らかの形で昇華させるために日常を送っているのである。

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