泥酔の夜

今日は酒を飲みすぎた。1軒目はビール5杯くらいか、2軒目あまり記憶がない、3軒目はダーツに行ってテキーラ3杯は飲んだことをかろうじて覚えている。

いま帰路の中noteを綴っているのだが、ロンドンフィル×テンシュテットのマーラー3番終楽章を聴いても凡庸な演奏だと思ってしまうくらいに酔っている。指揮や楽団はともかく、あのマーラー3番ですら私の酔いを覚ますことはできない。

死の恐怖、退屈の恐怖、孤独でいることの恐怖、金がないことの恐怖、今の酔いであればそれらは全て大した問題ではない。酔いというものが人類を魅了している理由がよくわかる。
かと言って悲観的になっているのではない。家という希望に向かって歩み続けている限り、私は光を信じているはずだ。かつての詩人や宗教が使い古した「光」という単語を令和になっても信じている人間がここにいる。日本人をはじめ、自分も無宗教でいる(はず)だが、そういう「光」を求めて帰れる場所があってもいいじゃないかとすら思える。
だって、多元性を含んだ現実においてのみ歴史を信じたトルストイも、ただ一つの真理を信じたではないか。

どうやら私は酔うと無駄に雄弁になってしまうらしい。そろそろマーラー3番を聴き終える。プラトンの詩人追放論に即して馬鹿みたいなものに感動しているなと思いつつも、音楽はやはり素晴らしい。イデアとしての「美そのもの」ではなく、それをを分有している媒体を信じて感動しているのだから。

今日だけはプラトンに謝りつつ寝室に就こうと思う。

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