結論は死
「結論というのは『死』に似ている」
一昨日、解剖学者で美術批評家の布施英人さんがこんなツイートをしていた。
なるほど。古典が絶えず読まれる一つのヒントになっているような気がする。古典は言わずもがな、時空を超えて読み継がれたり、演奏されたり、鑑賞されたりする。その理由は時代時代の人々に問いかけ、受容されるから。そして学者は彼ら彼女らなりの学説を提示する。その学説は緻密な研究によって妥当性こそ認められるが、決して「結論」ではない。
「結論」が出てしまえば、古典は古典であることをやめ、時代の波にさらわれるだろう。
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