地元に帰ってくると

明日はサザンオールスターズのライブに行く。ライブは私の地元である神奈川県の茅ヶ崎で開催されるので、ついでに実家に泊まることにした。

地元に帰る度に思うのだが、老舗が潰れていたり、旧友と街で遭遇しなくなったり、かくれんぼに使った木々がなくなっていたり、慣れ親しんだ景色は次々と姿を消している。どこに行っても現実との対比で「過ぎし過去」が現前してしまう。

言うまでもなく、サザンの桑田佳祐さんもここ茅ヶ崎が地元なのだが、エッセイを読んでいると節々でノスタルジックに茅ヶ崎を語っている。私と桑田さんは世代が全く違うので、それぞれが抱く茅ヶ崎のイメージは異なるが、街の変化を寂しげに眺める気持ちは変わらないだろう。

サザンの「歌えニッポンの空」を歌詞はちょっと見てみよう。

揺れる木漏れ日の道を
自転車に乗って
海へと通った

あれは遠い日の空
また夏が過ぎてゆく

騒ぐ潮風に乗って
『浜降り』の音が
あゝ 響く場所

ここで生まれて育って
夢見ることを学んだ

ここが故郷
歌え日本の空!!
悲しみも晴れて

冒頭の歌詞は海辺に住む人間なら誰もが共感できるだろう。これは桑田さんではなく、まるで自分の心から発せられた言葉ではないかと錯覚するほど。さらに言うと、『浜降り』というのは茅ヶ崎の浜降り祭という祭りを指しているのだろうが、このワードはあまりにも身近なため、私の頭には具体的な昔の甘美な思い出や苦い思い出が蘇ってくる。

この曲は全体を通しておどけたような曲調なのだが、桑田さんの歌声にはどこか憂いを感じる(これらが上手い具合にブレンドされているのがこの曲の妙味か?)。

ただ、人生というのは過去に拘泥することや瞬間に留まることを許さないので、「悲しみも晴れて」という言葉でノスタルジーはかき消される。そう、それでいいのだ。

最近よく見聞きする「あの頃の日本をもう一度!」という懐古主義全開の声は、人生という流れに逆行している。

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