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マルタ留学の話

↑カバー画像は自分撮影なのですが古いスマホなのでボヤボヤしています汗

参考までに現在の英語力を書きますが

2017年4月 TOEIC : 820 (2019年11月 935)

2018年4月 IELTS : 6.0 (L 7.0 R 6.0 W 5.0 S 6.5) ライティングが悲惨...


英語を使った仕事をしていて職場でも一応英語は得意ということになっているので、英語ができなかった時代のことはあまり話す機会がないのですが

たまに慢心が出て来て、勉強をサボるので、初心忘るべからず、と言うことで、

全然英語が話せなかった5年前の、3週間の語学留学のことについて書きたいと思います。


ささいなきっかけ

大学2年の秋。同じ学部で高校も一緒で、大学に入ってから仲良くなった友達の「ともちん」が春休みにカナダに行くと言うので、私も便乗して留学パンフレットをもらって来た。


選んだ国はマルタ。大学1年生時にイタリアに旅行したことがあったので、もしかしたらアナザースカイできるかも!というのと、留学を考える前に参加していた『英語合宿』という学内のイベントで、英語がものすごく流暢な先輩にオススメされたのが理由で選んだ。


当時はあんまり自分で行動を起こすということがない人間だった。


ライブのチケットとかもとったことなかったし(ちなみに今もない)、旅行に行きたいと思い立つことすらなかったかも。

だから、友達に便乗したといっても結構勇気のいる決断だった。


語学学校のクラスには、ブラジル人が2人と、ロシア人が1人、リビア人が5人、日本人が私を入れて2人。(5年前なので正確ではないかもしれない...)

語学学校全体にも、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、メキシコなど中南米の生徒や、北アフリカのリビアから来ている学生が多かった気がする。


最初の2週間は全く外国人の友達ができなかった

学校全体のオリエンテーションで日本人が何人かいたのを見かけたけど、留学経験者のアドバイスで「日本人とはつるむな」というのを見ていたから、意思を堅く、声かけられた時もカタコトの英語で"I will never speak Japanese during my stay."とか言っていた。あそこまで頑ななのは、今思うと恥ずかしいし、自分がバカにも思えたけど、そうするしかなかった。


何日かして疲れて来たら流石にその子とも日本語で話すようになったけれど。


2週間経っても、全然外国人の友達ができなかった。


声をかけるのは簡単だった。"Where are you from?"って聞けばいいから。でも、その後が続かなかった。いつも"Oh! Amazing!"とか言って終わってた。何がアメージングなのか自分でもさっぱりわからないけど。笑


今の自分だったら lovely とか、(国名) has been on my must-visit list. とか色々バリエーションがあるけど、当時は表現のストックがなかったから、言えることも限られていた。


今まで英語を話したことがほとんどなかったから、自分の感情も載ってなかったし、楽しげに英語を話すことができなかったのが、友達ができなかった理由だと思う。


何というか、発音ももちろんそうだけど、多分英語を話すときのテンションが違ったんだと思う。


悔しい出来事

英語を話せるようになってやる!って思ったきっかけの一つであり、今も忘れない出来事があって。

留学2週目のことだった。その日の授業は児童文学の一章を事前に読んで来て、クラス全員何文かずつ音読していって、自分が読んだ部分の要約をするという内容だった。

英語で要約って今まで経験がなかったから、どうすればいいかわからなかった。

結果本文に書いてあることをそのまま何文か切り取るだけになってしまって、自分の英語力のなさに失望した。


私が読む番になると同じクラスにいたリビア人が「あいつ発音悪いよな」「何言ってるかさっぱりわからない」といったことを隣の人と笑いながら話していた。


(これは後に英語の勉強を続ける起爆剤になるのですが、当時は見返したいといっても何をすればいいかわからない状態でした。)


そんな私に訪れた転機

当時の私にとってすごく不思議だったのは、ベネズエラとかブラジルの人たちが母国語で話していても孤立しないのに、日本人同士でつるんでいると他の国の人が全く寄り付かないということだった。


日本語を絶対喋らないと言ったし、こんな遠くに来て、外国人の友達ができないのに日本人とばっかりつるむのも負けを認めたみたいで嫌だったから、

昼食もいつも一人でサンドイッチを食べていた。


そんなとき、同じクラスのロシア人の女の子が食堂でコーヒーを買っていたので、勇気を出して話しかけてみた。

すると、"I have to smoke. タバコを吸わなきゃならないから"と彼女が言ったので、喫煙所について行くことにした。

今思うと"I'm gonna smoke."とかじゃないのが面白いのだが。

話してみるとその子は大学の専門は心理学なんだけどアートを学ぶためイギリスの大学に入りたいので英語を勉強しているとのこと。

日本のアニメが好きらしく、彼女がいかにもののけ姫とエルフェンリートが好きかという話をしてくれた。(血が出る作品が好きなのかも)


彼女は授業中によく質問する子で、何か納得いかなかったりわからない単語があったりすると躊躇せず流れを止めていた。当時の私にはそれが衝撃的で、自分一人のわがままで授業の流れ止めていいんだ👀!と思った。授業中その子の隣に座るようにしたら自然と私も影響されていった。


恐らく同じクラスにいた人からすれば迷惑でしかなかったかもしれないけどその日から"Can I ask you〜?" "How do you say〜?"と聞くのに抵抗がなくなって行った。


最後の1週間になってやっと今まで感じていた緊張が解けて、人見知りせず自分から話しかけられるようになっていた。

今の自分に繋がっていること

3週間の留学から帰ってきてからも、英語の勉強は続けた。自分の英語を笑われた悔しさがあったし、何よりせっかくできた友達と今後再会する機会があったら、留学中の自分には伝えられなかったことを言えるようになっていたいと思ったから。


この留学の経験は、最初全然できなくても、遠くまで来れるっていう私の考えの基礎になっている。


というか、最初は何もうまくできないものだって思うと始めるハードルも低くて済むし、いつか変わった自分を想像してワクワクすることだってできる(ドーパミンがたくさん分泌される!!)。


留学を決めた時は、本気で英語が話せるようになりたいなんて思っていなかったし、流行りに乗っておこうかなっていう気持ちの方が強かった気がする。

きっかけは些細だけど、

あの体験がなかったら...

恐らく必死で英語を勉強することもなかった

仕事のメールがほぼ全て英語でくる今の仕事をして、外国人のクルーと他愛ないことで楽しくおしゃべりすることもなかった

海外旅行に出かけることもなければ、自分が生まれ育った日本にずっと閉じこもって、外の世界を全然知らない人間になっていたかもしれないと思うと恐ろしい。


英語の勉強開始が20歳を超えていたし、(もちろん義務教育の英語はやっていたよ)

まだまだ言えないこともたくさんあるけど、諦めたくない。

将来の夢は世界を飛び回る仕事です。

どういう仕事で飛び回るかは、まだ模索中笑


っていう誓いと、ほんのちょっとのきっかけと勇気で人生は変わるよっていう意味を込めた投稿でした。


5月18日にまたIELTS受けるので、終わったら感想をまとめたいと思います!






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