見出し画像

晴ショッピング雨本屋

お元気ですか、六です。


今日は晴耕雨読ならぬ、晴ショッピング雨本屋の日曜日でした。

買った本、栗きんとん(食後)、玉露


折坂悠太の詩集『あなたは私と話した事があるだろうか』の発売日なので、買いに行きました。

買う本が決まっているのだから、本当はわざわざ出向かなくてもネットで買えてしまうんですけどね。
それでも本屋へ出向くのは、手に取って装丁を眺めて、一旦置いて他の気になるタイトルを物色して、また目的の本を取りに戻って、本屋の近くの喫茶店で本のさわりを読む、という一連の時間を楽しむためです。
時間と肉体と心のすべての余裕がある時にしかできない贅沢な時間の使い方です。

ON READING

東山公園のイケてる本屋「ON READING」さんです。目的の本を取り扱う本屋さんリストに載っていた、愛知県で唯一のお店。

アパートの2階にあり、窓の外からようやく涼しくなった風が爽やかで、大通りを通り過ぎる車の音が聞こえて、吉祥寺の百年を訪れた日を思い出しました。あれもいい日だった。



本屋さんは、自分が煮詰まった時に行くのがいいです。
生活がつまらなく感じる時というのは、つまり自分の感受性が死んでいるからであり、それを回復させるために沢山の本を見るのは私にとっては良い方法でした。

自分の中に心躍る物が何もなく、すっからかんな状態で本屋さんへ行く。
からっぽを楽しむのもそれはそれで良いですけどね。それはからっぽの人間には気付けないことです。

並んでいる本のタイトルを見ると、日常生活で微塵も頭によぎらない言葉がたくさん目に入る。自分にはおよそ縁遠い事柄、それを語り尽くして分厚い本を刊行するほど熱を注いでいる人がいる。その異世界の入り口を背表紙に垣間見ることができる。

本というのは感受性の塊のようなものですからね。僕はこう思ったのだ!という感性がハードカバーになって物質として硬さを持ち、ずっとそこに存在している。かっこいいと思います。


最近は本の中でも詩集が好きです。笹井宏之さんの『えーえんとくちから』をきっかけに読むようになりました。



《詩集のいいところ》

・集中力が無くても読める、物理的に本を開く体力さえあれば読める。それすらない時は寝た方がいい。

・どこから読み始めてもいい。内容を忘れてしまっても途中から読み始められる。時間がないけど見開き1ページだけ、とかもいける。

・余白が多くて自由。その時の自分に合わせた解釈ができる。

・分からなくてもいい。世の中には、詩が理解できない人の方が圧倒的に多い。いつかなにかの経験を契機に、分かる時が来るかもしれない。その時までのお楽しみ。



『えーえんとくちから』の記事を書いたはず、と過去の投稿を見返したら、未完成のまま下書きに入っていました。今日買った詩集の感想と共にまた書こうかな。

坂道を駆け下りる
この体に開かれた 世界を置き去りに
鳥のように 駆け下りる
重心を低くとり 加速するこの命が
過ぎてく家や木々を 抽象の絵に変える

坂道 / 折坂悠太

チャリかなあ。目の前の景色が左右に割れて通り過ぎる感じが気持ちいい。朝晩は折坂くんの曲が似合う温度になってきた。曲を聞いて散歩したくて、バスで帰る道を30分掛けて徒歩で帰っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?