子供の頃のあることを急に思い出したので

柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』(医学書院)を書店でチラッと立ち読みした。立ち読みした程度なのにどうしてここで、それをまるで題材にしているよ、みたいな導入で書いているかと言うと、その時に目に入った文章がぼくの記憶を引き出したからだった。小説家の柴崎さんは大人になってからADHDであると診断されたそうだ。『あらゆることは今起こる』(医学書院)という本はそこからさまざまな体験が書かれているエッセイであるのだろうが、いつかしっかり読みたいが、一旦それは置いといて、自分の話をしたい。自分の話といったってそれほどたくさんあるわけではない。いいでしょうか、自分の話。してもいいでしょうか。いいだろう。ここは自分のnoteであるからして、いいだろう。させてもらおう、自分の話を。
 柴崎さんが子供の頃に、学校で、そう思ってもいないのに話を合わせていた、というようなことを書いていた(けどうろ覚えだから正確じゃないかもしれない)のを目にして、ぼくも急に思い出したのだった。ぼくの場合は学校で人と違う意見になるのが怖くて何も言えなかった。
 ぼくは小学校5年生で山口県下関市から埼玉県上尾市へ転校した。転入初日だったか2日目に、他のクラスの怖い同級生3人組に恫喝され、不登校になり、それでも担任のぼくの部屋への突撃と熱い説得と同じクラスで近所だった宮内くんの存在のおかげで通うようになり、でもたしか1年ほどは目立つことが怖くて体育でも運動ができないふり、球技ができないふり、楽しく声を上げたりはしない、授業で先生から当てられた時にもほとんど声を出して答えられない子どもになった。勘違いするし察しが悪いし、とにかく全然ダメだった。転校生は何をしても新規生物なので好奇の目で見られやすい。全力で空気になりに行く。もともとぼくはぼんやりしていたし空想することばっかり好きだった。空想は口に出すと笑われることが多かったからほとんど口にしなかった。勘違いすれば笑われるし、笑われるのは悲しい。どうすれば間違いではない答え方ができるのか、何を相手が求めているのかを子供なりに考えるようになった。
 子供の頃に作られたそういう感覚は残る。

できないことやひとりでいることが多かった。そういうのが楽になったのは大学に入ってからだった。みんながバラバラだった。いろいろとほっといてくれた。まあでも、何か答えを求められるものに関しては、やっぱり苦手だ。だいたい全然違うことを言ってしまう。というのを、立ち読みした時、久しぶりに思い出した。

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