『あの頃。』を見ながら

映画『あの頃。』を見た。
あややに出会う劔さん、トークイベントで笑う劔さん、あややの握手会に行く劔さん、あややに声をかける劔さん、などなどの部分でめちゃくちゃ泣いた。涙腺が抜けた。

物語そのものは、仲間内で大きな出来事があり、変化していく様子を後半にかけて描いていて、そこもよかった。でも前半がとにかくよかった。というかまず俳優部のみんなの佇まいがすてきだし、恋愛研究会。の空気感最高だった。『君が世界のはじまり』でとても光っていた中田青渚さんも出ていた。

アイドルはふしぎだ。2011年から4年くらい、他の人に比べたら全然短い期間だったけど、一生懸命現場に行き、踊ったり声を張り上げたりしていた自分からしても、アイドルは本当にふしぎな存在だと思う。恋愛に陥りたいといった感情とは別の、キラキラした感情が心に生まれて、ただ同じ瞬間を生きて、応援して、コールして、踊って、笑ったり泣いたりした。握手会に行って、初めて握手会に行った劔さんみたいに、僕も「応援してます」って言えなかったし、何度行ってもほかのみんなみたいにアイドルに対して励ますようなすてきなことを全然言えなかった、ただ、「ライブすごくよかったです」とかそういうことをしどろもどろに伝えた。あの時期に、ももクロやBiSやBELLRING少女ハートや、でんぱ組inc.や、Dorothy Little Happyや私立恵比寿中学やBABYMETALに出会わなかったら、もっと違う人間だったかもしれない。純粋に、もっと真っ直ぐなクズ人間だったと思う。でも、少しでも人を応援することができるという経験は、自分にとって得難い経験になっている。ライブの現場で出会った人もいて、恋愛研究会。みたいにガッツリ関わったりはしなかったけど、(劇中の)劔さんが石川梨華の卒コンで出会った高校教師(西田尚美)みたいに、現場で同じ推しを応援して、合間にちょっと話して、という出会いや、事前物販待機列で極寒の中、数時間並ぶ中で話しかけれくれたヲタのあの人やこの人のことを思い出したりした。ノスタルジックになりたいわけじゃなくて、特定の時期に同じ好きなものを応援していた人たちが、今もそれぞれの場所で元気に生きていてくれたらいいなと思う。

僕がアイドル現場にあんまり行けなくなったのは演劇を再開するためにお財布事情があったのもそうだけど、大きかったのはBiSの解散だった。BiSはたくさんライブもやっていたし、握手会とかチェキ会も沢山あったので、ちょこちょこ参加していたし、曲も大好きだったので2012年からずっと追いかけていたのだけど、(わっきー)、ゆっふぃー、みっちぇるの卒業がかなり堪えた。当時はいろいろと舞台裏もあり、配信される彼女たちのすり減っていくさま、その先に大成功が約束されているのならまだしも、未知の挑戦を続けている中で、続けられなくなったりした(とメディアで語られた)メンバーが出るたびに、戸惑うものがあった。今考えれば致し方ないのかもしれないし、新しく入った、解散までの5人も好きだったけど、応援しても悲しいという感情はどうしてもつきまとうし、続けさせてあげられなかったヲタの不甲斐なさもしみじみ実感させられたし(別に何もしてないのに)、推しのアイドルの卒業の喪失感はとてつもない。ハロプロヲタのみなさんがハロプロというプロジェクトそのものを推して支えているというその凄まじさには感服するとずっと思っていた。

BiSと仲の良かったベルハーも、卒業が続き、アイドルってさよならするじゃん……という苦しさが大きくなってきてから、BiSの解散ライブに行き、そこで一区切りついてしまった。就職したみっちぇる(推しだった)が登場して一緒にnerveを歌ってたのも、嬉しかったし最高だったし、だけど、そこで卒業後の元気な姿を見られて、よかったなということと、こんなにいい曲でいいパフォーマンスをするアイドルでも、ここで解散しちゃうのか、という悲しみと、BiSはメンバーがずっといろんなものと戦っていた感じもあったし、解散ライブ4時間フルパフォーマンス、彼女たちと一緒にずっと叫んだり踊ったり応援したりしている間に、「終わった」ということが、僕の体の隅々にまで響き渡って染み渡っていたんだと思う。帰って、抜け殻みたいにぼーっとした。

それからはほとんどアイドル現場には行かなくなって、行くとしたらBABYMETALになったのは、BABYMETALは大丈夫そうだし、握手会といったイベントないし、激しいライブに行く感覚で行けたからだった。それでもだんだん海外に重きをおいていく運営のやり方って、彼女たちはどう思ってるのかなとか、日本のメディアに出て、普段の自分の言葉で話す機会が全然なくて、って、大丈夫かな?と勝手に余計な心配をしたりしていたけど、ライブは毎回すごかったから、ずっと続いてほしいなと思う。アミューズはPerfumeもいるので、そういうケアというか、大丈夫そうだから期待している。

『あの頃。』を見ながら、ちゃんとアイドルたちに好きと伝えておかなきゃと思った。目の前で全力で踊ってくれて、励ましてくれて、心にうるおいをくれる。ちゃんと伝えないとだめだと思ったし、それと同時に、アイドルを卒業して今、普通に生活している人たちも、しあわせでいてくれたらいいなと思った。アイドルじゃなくなっても世界はつづく。生活はつづく。しあわせはいろんな形であると思うし、今が、彼女たちにとってしあわせだったらいいなと思う。

同時に、アイドルじゃないけど、『あの頃。』を見ながら、伝えたいなと思った人がいて、伝えたいというか書いておこうと思ったのは、「赤い公園」の津野米咲さん。2014年の「風が知ってる」をきっかけに、彼女の作る曲、書く詞がことごとく好きになり、ストラトで出すあのこもった音も好きだった。昨年10月にいなくなってしまった。自分でも驚くほど悲しかったらしく、事あるごとにめそめそした。どうしてか、おさえられなかった。自分の中に、静かに、深い衝撃が広がって、もちろん創作にも影響はあった。11月に赤い公園がデビューからライブをしていたという立川バベルを見に行き、立川をぶらぶら歩いた。しばらくは曲も聞けなくなっていたけど今はすこしずつ聞けている。いい年して、ただのファンでもこんな感じ。いわんやメンバーや近い人をや。いびつな世界だ。才能がどれだけあったってと思う。先月、いろいろあって心がカスカスになっていた時に、ずっと避けてきた某動画を聞いた。今、あるかわからないけど、知らせがあった当日の、津野さんが関わっていたラジオ番組をつなげた30分の動画だった。わさわさと涙が出てきた。だいたいそうだ。いなくなってから、それまで言えなかったことを伝えてしまったりする。だからそれらは残っている人たちが受け取るべき思いであり、言葉たちなんだと思う。言葉は生者たちにしか届かないのだから。だからまるで僕も遅くなってしまったが、ちゃんと伝えて残しておこうと思った。津野さんの作るものが好きだった。たくさん助けてもらった。自分にとっては包容力がある曲ばっかりだ。これからも聞いていく。知らない人で、趣味が合いそうな人にも教えていきたい。
ありがとうございました。向こうでも、向こうのしあわせを見つけられていますように。

ということを考えた。

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