ポロポロ

今年も終戦記念日が過ぎた。山口県下関市に住んでいた小学生の頃は1987年とかで、考えてみれば1945年からまだたったの40年ぐらいしか経っていなかった。周りには戦争体験者がまだまだいたのだろう。ぼくの両親は岩手県出身で、戦争からは遠いところにいたようだが、それもちゃんと聞いていないな。
今年も、8月15日が過ぎた。言葉として、敗戦記念日というべきだという意見があるのも知っているが、何にしても年々遠ざかっていく歴史をどう捉えていくのかはとても大事なことだと思う。
小学校5年生で埼玉県の小学校に転校して、最初の担任の先生が戦争教育に熱心な人だった。「はだしのゲン」履修はもちろんのこと、アウシュヴィッツのことやどうして戦争に反対しなければならないのかを生徒たちに教えてくれた。その頃、見たアウシュヴィッツの写真集は強烈な体験で、今でもよく覚えている。
1991年には湾岸戦争が起きて、2001年に9.11が起きて、その時はぼくは大学生でもう演劇をやっていて、2003年にイラク戦争が起きた。ニュースで、最新鋭爆撃機の映像、ミサイルの映像なんかが報道されるようになっていた。
今年の2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻、戦争は、まだ終わってない。当初、惨状に対して痛めていた胸は、その痛みに麻痺してないだろうかと考える時がある。ぼくが生きている間、思えば世界のどこかに戦争がある。よく言われるが、平和は約束されたものではない。ぼくたちはコロナ対策を大変だと感じているが、それだって戦場では数多ある障害の一つにすぎないだろう。

情報が流れるのが早い。だけど早いのは流れていく情報だけだ。現実には戦争は続いていて、コロナ禍だって続いていて日本の演劇界では一人でも感染者が出れば公演中止をして、音楽フェスならバンドは出演中止をしていたりする。お店はどこも開いていて人々はマスクを外し始めている。

日々が、一枚の紙の上に広がっているのではなく、何層もの紙があって、何重もの紙が同時に存在している、ということを忘れたくない。
例えば永田町にいる人々が、一枚の紙の上にある出来事だけを見ていると感じるような時にも、忘れ去ろうとしている紙があることを、ぼくは決して忘れない。あるべき姿を示せるような人間でいられないということを、受け取り続けていく。

前に書いたか忘れてしまったし、確認しようとも思っていないのだけど、田中小実昌『ポロポロ』をぼくに教えてくれたのは、ある読書家の俳優仲間だった。彼とはコロナが始まる前まで、半年に一度くらい酒場でそれぞれの読書体験を話し合い、お薦めし合う会を行なっていた。そこで、「細川さんぽいと思って」とボロボロになった河出文庫版を貸してくれた。5年ほど前だった気がする。まだ返していない。

田中小実昌の戦争体験記は、笑ってしまうようなとぼけた筆致で死がすぐ隣にあることを示す。間違えて撃ってしまった銃の先に偶然上官が腹ばいになっていて、そのお尻に弾が当たってしまう。その描写が滑稽でクスッと笑ってしまうんだけど、結局その傷が元で上官は亡くなってしまう。とか、田中小実昌自身がひどい下痢にかかって瀕死になるのだけど、寝床の寝心地がいいか悪いかみたいなことをちまちま書いていて、それもまたクスリとさせられたり。その時も、元気に喚いていた同じ病床の人がある日死んでいたりすることを記している。
水木しげるもだが、戦場に行く兵士の多くは庶民だ。そして生き残って帰ってきて、記録を残す。その記録を読み、あるいは聞き、ぼくたちは事実、あるいは記録を残した人の見た出来事を知っていく。

ずっと抱えていくことなど到底できない。でも、ことあるごとに考えていき、思い出していく。そうすることで、ぼくの口から「ポロポロ」が出ていくとしても、ぼくの声が周りから「ポロポロ」っという音に聞こえたとしてもいい。なんてことをしかつめらしく書いたってどうしようもないけど。

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