まとめ買いしたスケッチブックはこの夏も手つかずで

2024年8月26日
 ほとんど1日中家から出ずに作業。いつものことだけど、途中からイメージが氾濫するので頭を冷やすために小休止をいれつつ。

 昨夏読んだ『STONER』が胸にまだ響きを残している。あんな作品を残してみたい。昨年は『HHhH』からはじまり、1945年付近の資料をとにかく読み漁っていたが、ものすごい量だった。近年、ああいうふうに様々な角度から同じ時期を研究されることがあるのだろうか。

 作家の逡巡を、「世界」2024年9月号の兼島拓也さんと上間陽子さんの対談記事を読んで考えていた。立ち止まらなかったり、苦しまない作家がいるのだろうか。というのは意地悪な書き方かもしれないが、とても正当な手続きであると読んだ。

 戦後教育について少し考えている。少しではないけど。戦後教育は「戦後」教育ではない。「戦前・戦中」の遺伝子を十分に残した教育だった。それは決して小さくないことだ。まだ走り始めたばかりの思索だけども。そうして入手した「世界」からいくつかの繋がりで塚本晋也監督『ほかげ』を知る。先週、吉祥寺で上映を見られる機会があったのだけど、間に合わなかった。どこかで見よう。

 OASISが再結成するというニュースを見た。今度はどうも本当らしい。いやいや、そう言って何十年ですやん。騙されませんがな。という気持ちだが、それでも期待してしまう。ノエルもリアムもそれぞれでOASISの曲を歌っているのでボンヤリしちゃっているけど、やっぱりふたりが揃ったステージは見たい。「リヴ・フォーエヴァー」と「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は別々の歌声で、ひとつのLIVEで歌われてほしい。

 知っている人はよく知っているエピソードだと思うけど、Base Ball Bearの小出祐介はある時期難聴になって、病院に行くと、音楽のことを忘れる期間が必要だ、と言われ、忙しくてできなかったゲームを再開させた。すると(たちまちかどうかは知らないけど)、やがて難聴が治った。過度に高ストレス状態にあると不調になるため、自発的に考えない期間を作ったほうが体にいい、ということを伝える話だ。切れないために休みは必要だ。ゲームも、というか、全く別種の空間把握を必要とする体験がいいような気がしている。車の運転も似ている。

 あすけんあすけんと日々励んでいるが、ふと、「メニュー全部決めてくれよ」と思う瞬間がある。「100点くれよ」とか「もっと褒めてくれよ」とか。だけど、やっぱりメニューをガッツリ決められないのがいい。全ては自分次第。自分の選択の結果がこうですよ、と伝えられるだけがいい。そのくらいがいい。もしメニューまで決められようものなら、スーパーで食材の争奪戦がはじまりそうだしな。

うん。
またあすけんの話をしてしまった。

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