記憶
何がこんなにモヤモヤするのだろうかと疑問を抱きながら、外出先から帰ってきてようやく理由に気づく日常です。
別のことをしたりしながら、気を紛らわせるしかありません。
記憶
今日は郵便局に行くついでにコンビニに寄ることにしました。
外出することトータルでわずか20分ほど。
帰宅すると心の中にモヤモヤが残りました。
この原因が何なのか考えていたのですが、おそらく「小学校」でした。
今日は子どもが通学する声がしなかったのではないかという話を母とした後、どこか学生が休みであると思い込んでいたのでしょう。
小学校の横を通ると各クラスで授業を受けている声が聞こえてきました。
以前にも話したことがあるのですが、私はいまだに「小学校」や「小学生」が苦手なようで、教師や生徒の声を聞いたり校舎を見ると、気分によくない影響が起きてしまうようです。
克服するには学校の横をあえて通り、慣らしていく……という方法を検討していましたが、この方法に効果があるのかどうかは不明です。
しかも、もしかしたら他の小学校でさえあればそういったことは起きないような気もしてきて、相当通っていた小学校にトラウマがあるのかもしれません。
小学生といえば6年間もあるので、6年間を語ると長くなりますが、またタイミングがあればお話できたらと思います。
ただひとつ救いがあって、小学生の当時の私はお先真っ暗の状態で不登校児として入院したりしていたのですが、その頃「人と関わらない、制服を着ない仕事に就きたい」とは漠然と考えていました。
現状と学校を重ね合わせると、世間一般の多くの人間は朝決まった時間に仕事に行き、決まった時間に帰宅。周囲の人と生活を合わせることができて、それは小学生の頃からの積み重ねで、きちんとそういったことが子どもの頃からできる人ばかりなのだと思うと、自分の存在が醜く、生きた心地がしません。
しかし、それでも本当に足並みが揃えられないのです。
ですが今現在直接人と関わりがなく、制服を着ることが一切ない仕事をしています。
そのことを当時の私に言いに行ってあげたいです。
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