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みんなと一緒

こんにちは
こんばんは


つぶやきの通り、休みなので少しゆっくりしたいと思い
昨日はゆるキャン△見てりんちゃんとなでしこのやり取りとあの北欧っぽい場所に流れてそうな音楽聞いてめちゃくちゃ癒されたので
前に友人に連れていってもらったキャンプ場併設のカフェに行ったところ
ランチの時間を外したのに大量の子供たちとその親がいて
とてもゆっくりという雰囲気ではなかった、という話



おひとりさま、というものが市民権を得てきているとはいえ
田舎ではまだまだマイノリティで居場所は少なく
圧倒的に家族連れが強いなぁ、と思ってしまう

酒の出るところならばある程度出くわす頻度も少ないのだろうが、私はあまり酒が好きでは無いのでもうどうしようもない

家族連れのあの遠慮のないエネルギーが苦手だ




こういうときに、どっちが普通かなどと考えてしまう


昔からそうなのだが、普通はなんだろう?と考えてしまいがちだ


そもそも普通とはなんだと考えている時点で、自分は普通では無いのかもしれないという気持ちを抱えてるということになるので
あまり精神衛生上良くない気がする


そして、普通=平均的、ということなのであれば、聞く先の人種などで容易く変わってしまうことなので
自分がどこに所属している、とか、
自分がどんな人と普段関わっているか、で
全く平均などというものは変わってしまう


そんなこと分かってるはず、なのに
私は今、自分のしていることが普通なのか、常に自問自答してしまう




思えばよく、親に「あれ買って!」などと言えば「普通そんな高いもの買ってもらえるわけないでしょ!」と言われ

「もうちょっと普通にしててちょうだい」
と外出先で言われ


「なんでもっと普通にできないの…」
と体操服を汚して怒られ


そんなことの繰り返しで刷り込まれたのは
「普通でないと親を悲しませるし、普通でないことは叶えて貰えなくて当然なんだ」
ということ


うまくいかないことは普通でないことをやろうとしているからであり、普通でいなければ幸せにはなれない

そういう思考になっているということなのではないか




例えば自分が普通と違っているということは山ほどあって

・誰かといる時間も取れるが、その後倍以上の一人の時間が必要
・効率が悪いことに気づくとそのままではいられないこと
・子供はあまり好きでは無い
・親のことは嫌いというか苦手で極力会いたくない
・感情を表に出すのが苦手だけどやった方がいろいろ得な気がするので出そうと意識的に行っている
・人に親しく話しかけることはできるけど、準備してない状態で親しげにされると殻にとじこもる

まだまだたくさんあるけどこんな感じ

これだけ見るとコミュ障傾向で、実際そうなんだと思う



話はここで終わるか、理想があるならじゃあどうして行こうって話になるのだろうけど
普通かそうでないか理論で行くと、その間に「普通じゃないからダメだね」が挟まる



別に誰かが悪いと言ってるわけじゃないし、ひとつひとつだけみれば当てはまる人もいっぱいいるだろう
でも、普通かそうでないか理論で行くと、「普通じゃない=ダメ」という公式がある
自分はダメなんだ、というダメ出しが入る


自己肯定感とかって言葉が飛び交ってるけど、こういうちょっとした思考回路のワンクッションみたいなもので簡単に左右されるものなんじゃないかと思っている


先の理論で行くと、なんとなくマイノリティぽい行動や思考を持っている私は、なんとなくダメなのである



でもひとつひとつのその思考を見れば、数は半数には行かないかもしれないけれどそこまで突飛な考えはないように思う
そういう人もいるよね、レベル

これが場所が変わればきっと「ああ、あなたもそうなのね」なんてことだって充分に有り得る

結局はどこで自分が生きていくか
周りがどんな考えをしている人が多いのか
こういうことになる気がする

自分に近い考えの人と如何に出会えるか

残念ながら、私のようにあまり他人を必要としていない人間に出会う方法がいまいちわからない

こうやってWebに考えをゆっくりと吐き出す行為も、いつふとやめてしまうかわからない
それほどに徹底的に籠ってしまうことも多い


どなたか、いい方法があれば教えてください

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