追いかけて踏みつけて

こんにちは、こんばんは


今日はメモ紙を忘れて出かけてしまったので
ここに吐き出し


なので本来読めるものではないはずなのでスルー推奨

なのに公開にするのは、私の中での気持ちの問題
書いたら放出したい的な

そんなことなんだろうか



とにかく朝から頭痛と吐き気がすごくて
薬を1回分多く飲んだくらい


でも楽にはならない


でも楽になりたい


ごはんたべてみたり(食べれる、こういうときは他人のつくったごはんがいちばんで、心にもいい気がする、ありがたい)



何処か人のいるところで寝てみたり






最近はクレヨンしんちゃんの映画を見る


野原ひろしの名言ってあるけど
それだけピックして見るより映画の中で聞くとより来るものがある


普通の父親は名言なんて出さんのかな
うちはほとんどしゃべらんから知らないけど



子供が生意気を言うのは成長してるからって言葉が


生意気を言うな!誰に食わせてもらってると思ってんだ、文句あるならひとりで生きていけるようになってから言え!
文句あるなら出てけ!


そんなことばっかり言われていた私からすると衝撃的だった



私は成長を拒否されていたように思う
もしくは望む形での成長しか認めて貰えてなかった



親の気に入ることをするだけの人間


それがどんなものが親もわかってないけど
とにかく親が嫌な思い、不快な気分を味わうことがない子供



あの人たちは未だに自分が私を育てたと思ってるのだろう
それが私にはたまらなく不快だ



こんなことを言えば「親がいなければ生きていかれなかったはず、感謝すべき」と言われるのもわかってる


でも、親のために顔色を伺い、親の喜ぶことを考え

今日叱られないために自分の言いたいことを堪え、諦め無かったことにする

たまに堪えきれずに怒られるのを覚悟で放出し、結果、頭を踏みつけられたり首を絞められたり捕まるまで追いかけ回されたりする恐怖
(最後は私は笑い出していた、恐怖に頭がおかしくなるのだ
あれがどういう現象なのか未だにわからない
ただ、全てがぶっこわれてしまえばいいとは思っていた)



怖いし悲しい、私は自由な考えを持ってはいけない
親が神、最優先で私は生かしていただいている
よくカースト制度の最下層、穢多非人だなんて自分のことを思っていた


1人の方がマシだと何回も思った
でも、世間の人も私のことを同じように思うだろうとも思った
どこへ行っても私は自分の考えを持つだけで否定されるのだから
でも自分の考えを持つことをやめられない


それは大人になれていないからだと感じた
大人はきっとこんなことも我慢できるのだと
残念だけど私は未だに自分の考えを持たないということが出来ない
それは私にはとても未熟で無駄なことに思える



他の人と意見がぶつかるとものすごく悪いことをしているように思う
それはきっとこのせいだと思う
私が生きるためには私の意見はあってはならないもので、それを主張することは未熟であるということを露呈することだから
誰かが私の意見を認めたとしたら、私はその人に我慢を強いていることになるから



野原ひろしは一言で子供の私の意見を、わがままを認めてしまった

とても恐ろしい

私は万が一現実でこのような目にあっていたら絶対に受け入れられなかっただろう
今だって嬉しかったけどやはり絵空事にも思える


野原ひろしが現実に存在していなくてよかった

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