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ステータス=幸せなのか①

小さい頃は結婚して、
綺麗な真っ白なウエディングドレスを着て
海なんか見えちゃう教会とかで
式を挙げてみんなにお祝いされて
可愛い子どもを産むとか
志望校に合格して自分の就きたい職業に就くとか
社長や石油王に選ばれちゃって
社長夫人になるとか
結構壮大な夢というか
それが1番みたいな感覚ってありました。

私だけではなくて、小さい頃絵本を読めば
シンデレラはお姉さん義母にいじめられてたけど
最後は王子様と結婚して幸せになるとか
白雪姫は毒林檎を食べてしまったけど
王子様が眠ってるところに来てくれて
キスで起こしてくれるとか
結構幼少期の擦り込みと表現したら良いのか
夢というかそれが幸せの象徴みたいな部分って
多かれ少なかれありましたよね。

たしかにそれは幸せの形の一つなのかもしれません。
けれど結婚をしたから、王子に選ばれたから
石油王に選ばれたからといって
必ずしも幸せになれる人生とも限らないですよね。


大人になって、思っていたことがあります。
学生時代の恋愛って、同じクラスや
同じ部活、何かしら接点があってや
一目惚れなど、自分と出会ってから
相手を知って、
相手を見て好きになることが多かったです。
けれど、大人になって、出会いがなくて
合コンや、マッチングアプリを利用し、
出会いを探す中で
相手の職業だったり年収、
嫌な話、乗っている車や一人暮らしが実家暮らしなのか
結構そのような条件あっての恋愛というか、
性格も大切だけども
職業も同じくらい大切になってくるというか、
人に惹かれるというよりは、そのようなステータス、条件で恋愛をする人を選ぶようになってしまったなと思ってしまいました。

たしかに、学生時代の恋愛とは違い
大人になると結婚を視野に入れて恋愛を始めます。
昔と違い、彼の優しいところに惹かれた
彼の温かいところに惹かれた
けれどフリーターです、や
親に食わせてもらってます。
なんて人とはそのような出会いの場で
出会ったら自分の中で例え、いいなと思えても
始まらないというか、始められないというのが
正直なは話です。

自分自身も将来を考えると
恋愛する相手のステータスをしっかり見て
判断をしている部分もあったし
「こんな恋愛の始まり方なんて嫌だよねえ」
なんて同じ境遇の友人と話したりすることも
ありました。
嫌だ、こんな恋愛の仕方なんて
こんな始まりなんて絶対嫌と思いつつも
真剣になればなるほど、
将来を考えれば考えるほど
条件でしか見れなくなってしまうのですよね。

もちろん、このことに限っては
女側だけではなく、男性側にしても
身長や職業、見た目のプロフィール写真などの
好みや自分といい条件の人を探しているのも
分かっていました。

自分と合う人、自分の理想の人と出会うための場なのだから、そのような条件を公にして探すのは当たり前の世界。
むしろそれが1番時間もお金もかからなく
コスパと言っていいのかわからないですが、
要領良く出会える良い世界であるのも
分かっています。

自分も男性を条件で探しているくせに
女としての自分ではなく、
様々な条件を持ち合わせている自分ではなくて
きちんと うぱ として、
1人の人間として好きになってほしい
なんて、考えたり、友人と話したり
することが多かったです。
自分も条件で選んで探しているくせに
なんて奴だという感じですが、
みんなここで相手を探している人たちは
多少持つ感情なのではないでしょうか。

ステータスや条件も自分を表すもの、
性格などと同じような一部と言われれば
確かに一部です。
けれど、どう言語化したらいいのでしょうか、
大人になればなるほど、
学生時代の何も考えない恋愛、
好きという気持ちだけで進めてしまう恋愛が
羨ましかったり、
素直に人に惹かれたい
生活の中で誰かが私のことをあなたはいいねって
認めてほしいという欲がもの凄く出てきたんですよね。

自分の中のステータスと相手のステータス
どちらも互いに計りながら
進めているものなのに
自分ばかりが条件ではなく
しっかり自分としてみてほしいなんて
贅沢な願いですよね。

ただ、間違いなく言えるのは
みんな、男性も女性も幸せな道を歩みたいため、
不幸な道に行きたくないように
少しでも幸せになれるような
良いステータスを探しているというのは
紛れもない事実だとは思います。

次回はそのステータスが幸せにつながるのか
書いてみたいと思います☺︎

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