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食事と心って深い関係?

「貴方は疲れているときとかお惣菜や、お弁当に頼らないから凄いよね」

なんていつだか激動時期に作った簡単な食事を食べながら旦那が言った。

自分でも意識したことがなかった。
たしかに、休日旦那と自分が動く気力がなく
旦那からの提案で一緒にお弁当や惣菜を選びにいくことはある。
自分1人で2人分の食事を用意するとなった時は、お酒のつまみなどに惣菜を買うことはあっても自分と旦那の分という食事で惣菜、お弁当を買ったことがなかった。

そんなことを言われて自分でも疑問に思った。
特に私自身は健康志向というわけでもなく、
仕事終わり空腹が辛すぎると
コンビニによっておにぎりやホットスナックを
全然買い食いするような性格であるし、
ジャンクフードも大好きな人。
そして別に金銭面を激しく気にするような
人間でもない。

ただ、たまに旦那に連れられ惣菜のコーナーへ行くとどれも美味しそう、とは感じるのだが
それを手に取って食べたい、今回の食事にしたいという考えまでには至らず、
なかなか決められず結局何も食べたくない、
いらない、というところに落ちてしまう。

話は変わるが自分の中で食事のルールがある。
ルールというか、こうでありたいみたいな気持ちの面の話にはなるのだが。

特に健康面に意識したり、バランスの良い食事!!ということは強く思っていないが、
主食、主菜、副菜、汁物は食卓に並ぶ上で
揃っていて欲しいと思ってしまう。
こんなことを言っているがそこに手作りであるこだわりは全くない。
主菜は肉魚なんでもいいし、汁物はレトルトでいい、副菜なんかレタスを千切るだけで全然いい。
ただなんとなく、食事はそうであって欲しいと
思ってしまっている。

どうして自分がここまでこだわるのか
別に幼少期から良い食事を摂ってきた訳でもない。なんなら、スーパーの惣菜を食べることも多かったし、惣菜は好きな方である。

ただ、一つだけ覚えているのは
幼少期のときの食事の記憶なのかなと思うこともある。
我が家は父が24時間体制の仕事で、1日おきに休みだった。
父は料理をする人で、自分が休みの日に母が仕事に出ていると食事を作ることが多かった。
母も父がいる日に作る食事は私が今こだわっているような主食、主菜、副菜、汁物、あとはそれ以外にもたくさんあるような食事だった。
母も働いていたということあるが父のいない日はざる蕎麦のみ、そうめんのみ、焼きそば、肉を焼肉のタレで焼いた焼き肉丼、なんて一品物が比較的多かった。
なんとなく、満たされないことが多かった。
それが食事の満たされなさなのかは分からなかったが。

なんとなく、自分の今のルーツはここにあるような気がする。

満たされない食事の日は母も体力の限界まで働いていてきっと気力のない日だった。
今になってこそ、当時の気持ちはわかるが
子どもの頃はその日の食事と家庭のテンションがもしかしたら比例していたのかもしれない。
しっかりとした食事の日は家族団欒で会話を楽しみながら摂れるもの。
一品ものや惣菜の日は身体の中に入れる作業だったこと。

この幼少期の経験だけが全てではないが
なんとなく関係している気もする。

そして食事を作る立場になって、毎日あの満たされていた食事を摂りたい、作りたい。
という願望も自分の中にあるような気もする。

もちろん、心や身体が辛い時に
無理矢理身体に鞭を入れて作った食事は
心が満たされるとは言えない。
少しずつ頼れるところは頼りながら、
惣菜や弁当にも甘えながら、心を満たしていきたい。

特に料理は好きではないし、上手ではない。
だけど自分だけでなく、一緒に食事を摂る人の心が満たされて欲しいとも思う。

少しは料理ができるようになったから、
今度実家に帰るとき弁当でも作って、
一緒に食事を楽しもうかな。

お腹と一緒に心も満たしていきたいね。

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